可愛山陵 (2〜3世紀頃)
可愛山陵(えのみささぎ)はニニギ(天津日高彦火瓊瓊杵尊)の陵。高屋山上陵、吾平山上陵とともに神代三山陵の一つ。明治政府により1874年(明治7年)、新田神社(現・鹿児島県薩摩川内市宮内町)境内の神亀山を「可愛山陵」と治定した。ただし、その後の1896年(明治29年)にも「北川陵墓参考地(可愛山陵伝承地)」(可愛岳山麓にある経塚古墳「日向埃山陵」、現・宮崎県延岡市北川町長井)、「男狭穂塚陵墓参考地(可愛山陵参考地)」(西都原古墳群のにある男狭穂塚、現・宮崎県西都市)を定めている。
可愛山陵である新田神社では、神亀山の5分の4が御陵の領域となっている。(Wikipedia)
可愛山陵
天孫降臨神話の主人公が眠る
天上の国(高天原)から多くの神々を率いて、地上へ降臨したニニギノミコトの陵墓で、鹿児島県内に存在する宮内庁指定の神代三山陵のひとつ。
皇室の祖先神であるニニギノミコトは、日向の高千穂の峰に降り立ち、その後川内へたどり着いてこの地を治めたという天孫降臨伝説が残っている。
散策にもオススメの緑豊かなこのスポットのすぐ隣には、ニニギノミコトをまつる新田神社がある。
空から見ると山自体が亀の形にそっくりなので別名「神亀山(しんきさん)」とも呼ばれている。
アクセス
鹿児島県薩摩川内市宮内町1935−1