司馬遷
司馬遷 ©Public Domain

司馬遷


司馬遷 (紀元前145?〜紀元前86?)

司馬遷しばせんは、中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。李陵りりょうを弁護したことにより宦官となる。歴史書『史記』は全130巻、本紀・表・書・世家・列伝からなる紀伝体。伝説上の黄帝から武帝(漢)までの通史。その後の正史の模範となる。

司馬遷

概略

宦官となって『史記』を完成した「中国歴史学の父」

司馬家は、紀元前11世紀の周王朝時代から、歴史を記録する史官の家柄だった。司馬遷の父・司馬談しばだんも、天文・暦・修史を扱う役所の長官「太史令たいしれい」であった。司馬遷も10歳の頃より史官の仕事を受け継ぐべく古典を学び、記録収集のため、各地を旅した。

父の臨終に際し、修史事業継続の命を受け、司馬遷も太史令に就任。史書の編纂・執筆に努めた。

折しも武帝(漢)の命で匈奴討伐に活躍した李陵りりょうが捕虜になる事件が起きた。宮廷内には怒る武帝に迎合する者ばかりで、司馬遷だけが反論。李陵の無実を主張した。これが武帝の逆鱗に触れ、司馬遷は死刑判決を受ける。しかし司馬遷は父の遺命により、修史を中途にして死ぬわけにはいかない。死刑か宮刑かの選択を迫られ、宦官となって命をつないだ。宦官とは、おもに後宮に仕え、過ちの無いように去勢された男性のこと。司馬遷は恥辱に耐え、歴史書執筆に精魂を傾けた。

こうして10余年の歳月をかけ、52万6,500字に及ぶ『史記』全130巻が完成した。代々の皇帝の実績を書いた「本紀」と将軍や重臣らの生き様を描いた「列伝」が中心となるもの。優れた史観に基づいた、慎重で深い人物表現は、歴史書の最高峰とされ、中国の歴史書の基準となった。

宦官になった司馬遷の心情は、後漢時代、班固の著書『漢書』に採録された司馬遷の手紙「任安(司馬遷の友人)に報ずる書」に詳しい。「人は木石ぼくせきらず」など胸を打たれる文が綴られている。

名言

  • 「天道、是か非か」
  • 「人は木石に非らず」
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アジア・アメリカの古代文明

中国の古代文明

漢代の文化

漢代の文化

儒学儒教の国教化武帝(漢)時代、董仲舒の献策により五経博士を設置。国家の統治理念となる。
訓詁学の発達古書の復元、経典や字句の注釈に力を注ぎ、教義の理念的発展はなかった。馬融や鄭玄(後漢)によって大成。
歴史書『史記』(司馬遷)全130巻、本紀・表・書・世家・列伝からなる紀伝体。伝説上の黄帝から武帝(漢)までの通史。その後の正史の模範となる。
『漢書』(班固)全120巻、紀伝体による前漢の正史。
宗教仏教の伝来前漢末(紀元前後)、西域より伝来。
太平道張角が指導。呪文や祈祷による病気を治療。黄巾の乱の主力。道鏡の源流となる。河北が中心。
五斗米道張遼・張が指導。祈祷による病気治療をおこない、謝礼に米を5斗はらう。道鏡の源流となる。四川が中心。
美術工芸製紙法後漢の宦官・蔡倫が改良。木簡や竹簡に代わり普及。のちにイスラーム圏を経てヨーロッパに伝播。
美術・工芸絹織物・漆器・銅鏡
学問『説文解字』許慎(後漢)が編纂。9353字の漢字を解説した最古の字書。
文字文字甲骨文字()→金石文(周)→篆書(秦)→隷書(前漢)→楷書(後漢末)
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歴史書の編纂

漢代には、統一された歴史的世界が形成されたことにともない、すぐれた歴史書が編纂された。なかでも前漢の武帝(漢)時代に司馬遷しばせんが編んだ『史記』130巻と、後漢の和帝(漢)時代に班固はんこの編んだ『漢書』120巻は、いずれも紀伝体で書かれていて、その後の正史(各王朝についての公式の履歴書)の模範とされた。

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