吉野ヶ里遺跡
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にある日本屈指の大環濠集落。弥生前期に集落を形成、中期に墳丘墓築造、後期に物見櫓を設置。物見櫓は「魏志」倭人伝にいう「楼観」にあたるか。
吉野ヶ里遺跡
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にある日本屈指の大環濠集落。弥生前期に集落を形成、中期に墳丘墓築造、後期に物見櫓を設置。物見櫓は「魏志」倭人伝にいう「楼観」にあたるか。
日本文化のあけぼの
農耕社会の成立
小国の分立
吉野ヶ里遺跡と環濠集落
佐賀県吉野ヶ里遺跡は、脊振山系からのびた丘陵上の環壕集落である。
1986(昭和61)年以来3年間かけた発掘調査で、巨大な環壕集落や墳丘墓の全体像がわかった。
環壕は弥生時代前期から掘られているが、後期になると丘陵全体を覆う、南北約1km, 東西約0.5km, 約40haの大環壕へと発展した。
壕の外側には、掘った土を盛り上げて、土塁が築かれた。壕の内部には住居が営まれ、外側には倉庫が建てられた。
吉野ヶ里遺跡で重要なのは、後期になると、壕の内側にさらに壕をめぐらした、内郭と呼ばれる区画が出現する点である。
南北2カ所に内郭はあり、南内郭が約150m×70m, 北内郭が60m×60mで、北内郭は二重の壕がめぐる。
いずれの内郭も数カ所に壕がはり出した部分があり、そこから数本の柱の跡がみつかっており、『魏志』倭人伝に書かれた楼観、すなわち見張りの物見櫓の跡ではないかと推定されている。
北内郭の内側からは、16本の柱で支えた大きな建物の跡もみつかっており、内郭が身分の高い人々が住むところで、壕や物見櫓は、敵から彼らを守るための施設であったと考えられている。
古墳時代になると、環壕集落は消滅する。そのかわり、特別の建物を四角く囲んだ豪族居館が出現する。内郭が豪族居館へと変化したのであり、村全体でなく身分の高い人たちだけを守るようになった。
アクセス
〒842-0035
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
代表TEL:0952-55-9333