同治帝 どうちてい( A.D.1856〜A.D.1875)
清朝第10代皇帝(在位1861〜1875)。咸豊帝と西太后の子。その治世は内政・外交の小康期で「同治の中興」と呼ばれる。1873年から親政を開始したが、実権は西太后に握られていた。
同治帝
清朝第10代皇帝(在位1861〜1875)。咸豊帝と西太后の子。その治世は内政・外交の小康期で「同治の中興」と呼ばれる。1873年から親政を開始したが、実権は西太后に握られていた。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
洋務運動
アロー戦争後の清朝では、幼年の同治帝(位1861〜74)にかわって、叔父の恭親王奕訢(1832〜98, 初代総理衙門長官も務める)が朝廷の中心となり、従来の排外主義を転換した。そのため外国との和親や西欧の進んだ技術の摂取と、近代産業の育成と富国強兵による国家体制の再建がはかられた。このような試みを洋務運動という。