周文 しゅうぶん(生没年不詳)
室町時代の禅僧、画僧。如拙の弟子。水墨画の代表作は、国宝『水色巒光図』(奈良国立博物館蔵)『竹斎読書図』(東京国立博物館蔵)や重要文化財『寒山拾得図』など。弟子に雪舟がいる。禅だけでなく禅の精神的境地を具体化した水墨画など、中国文化の影響の強い文化が生まれ、武家文化の形成にも大きな影響を与えた。
周文
相国寺の都管(つかん、つうす)の職にあり、相国寺の庶務・会計として財政を担当するとともに、画家として俸禄を貰い足利将軍家の御用を務めた。1423年(応永30年)大蔵経を招来するための朝鮮派遣使節に参加し、その地で山水画を描いた。1430年(永享2年)には大和国片岡の達磨寺の達磨大師座像に彩色を施し、1440年(永享12年)には、雲居寺(うんごじ)の仏像の像容の参考とするため奈良東大寺に赴くなど、広い範囲の事績が知られ、1454年(享徳3年)頃まで生存していたようである。周文没後の将軍家御用は小栗宗湛に引き継がれた。他にも岳翁蔵丘や天遊松渓、雪舟等楊といった優秀な弟子を育て、室町時代の水墨画の確立に大きく貢献した。
参考 Wikipedia
武士社会の成長
室町文化
北山文化
この五山の禅寺を中心に禅僧たちによる中国文化の影響の強い文化が生まれ、武家文化の形成にも大きな影響を与えた。禅僧たちには中国からの渡来僧や中国で学んだ留学僧が多く、彼らは禅だけでなく禅の精神的境地を具体化した水墨画・建築様式などを広く伝えた。水墨画では、南北朝時代にも黙庵や可翁らがすでに活躍していたが、この時代になると、『五百羅漢図』などを描いた明兆(兆殿司 1352〜1431)、妙心寺退蔵院の『瓢鮎図』で知られる如拙(生没年不詳)、如拙の弟子で『寒山拾得図』『水色巒光図』などを描いた周文(生没年不詳)ら、多くの優れた画僧が登場した。また五山の禅僧たちの間で宋学の研究や漢詩文の創作も盛んになり、足利義満のころ絶海中津(1336〜1405)· 義堂周信(1325〜88)らが出て、いわゆる五山文学の最盛期を迎えた。彼らは、中国文化に対する豊富な知識から都府の政治・外交顧問としても活躍し、中国・朝鮮に対する外交文書の起草なども行った。このほか、五山版と呼ばれる禅の経典・漢詩文集などの出版事業も行うなど、中国文化の輸入に禅僧たちが果たした役割はきわめて大きかった。
参考 詳説日本史研究