四国艦隊下関砲撃事件 A.D.1864〜
長州藩外国船砲撃事件の報復と関門海峡通行の安全を確保するため、1864年に英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて下関砲台などを占領した事件。幕府は300万ドルの賠償金を支払った。この結果、長州藩では開国を主張する勢力が台頭した。
四国艦隊下関砲撃事件
長州藩外国船砲撃事件の報復と関門海峡通行の安全を確保するため、1864年に英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて下関砲台などを占領した事件。下関戦争(馬関戦争)ともいう。この結果、長州藩では開国を主張する勢力が台頭した。
近代国家の成立
開国と幕末の動乱
公武合体と尊攘運動
幕府は尊攘派にさらに打撃を加えるため、禁門の変の罪を問うという理由で朝廷から長州征討(第1次)の勅書を出させ、長州藩を攻撃した。また、貿易の妨げになる尊攘派に打撃を加える機会をうかがつていた列国は、イギリス公使オールコック( Alcook, 1809〜97 )の主導により、前年の長州藩外国船砲撃事件の報復として、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて下関の砲台などを占領した(四国艦隊下関砲撃事件)。
- 公武合体と尊攘運動 – 世界の歴史まっぷ
長州藩外国船砲撃事件の報復。英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃。陸戦隊が上陸し下関砲台を占領。幕府は300万ドルの賠償金を支払った。 参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠