四季山水図(山水長巻) 雪舟画/毛利博物館蔵/国宝
四季山水図(山水長巻)
「山水長巻」と一般に呼ばれているこの図巻は、画聖と呼ばれる雪舟の代表作として知られている。春から始まり冬で終わる四季の山水の変化を、長さ16mにも及ぶ長巻の上に、雄大な構図でドラマチックに描き出している。図上の建物や人物は中国風であるが、微妙な四季の変化の描写は日本の自然を描いたものである。奥書に文明18年(1486)67歳の作とあることから、雪舟は、応永27年(1420)生まれであることがわかる。備中国赤浜(岡山県総社市)で生まれたとされる雪舟は、13歳のころ京都にのぼって相国寺の画僧周文に学んだという。寛正5年(1464)山口に移り、雪舟と号するようになった。応仁元年(1467)に大内氏の遣明船で中国に渡り、文明元年(1469)に帰国すると、画僧としての名声が高まった。その後も必ずしも山口に留まっていたわけではなく、豊後国(大分県)・美濃国(岐阜県)など諸国を巡歴し、山口に落ち着いたのは文明18年(1486)のこととされる。その後も雪舟は大内氏の庇護を受け、山口の雲谷庵で作画に努めたという。没年は諸説あるが、現在では永正3年(1506)に没したとする説が有力である。
本作品は大内氏の滅亡後、毛利氏が所有するようになり、以降毛利家の至宝として大切に保存され、現在にいたっている。
武家社会の成長
室町文化
東山文化
水墨画
新しい住宅様式の成立は、座敷の装飾を盛んにし、掛軸・襖絵などの絵画、床の間を飾る生花・工芸品をいっそう発展させた。墨の濃淡で自然や人物を象徴的に表現する水墨画は、すでに北山文化のころ五山僧の明兆(兆殿司)・如拙・周文らによって基礎が築かれていたがこの時期に如拙・周文の門下から雪舟(1420〜1506)が出て、明(王朝)での見聞や地方生活の経験を生かしながら『四季山水図巻(山水長巻)』『秋冬山水図』『天橋立図』などの作品をつぎつぎと描き、水墨画の作画技術を集大成するとともに、禅画の制約を乗り越え、日本的な水墨画様式を創造した。