大嘗会 だいじょうえ (7世紀ごろ〜現在)
天皇即位の儀式の一つ。大嘗宮を臨時に造営して斎場とし、天武・持統朝のころから始まったとされる。平城宮跡で奈良時代の3時期にわたる大嘗宮跡が発掘されている。1466(文正元)年に後土御門天皇が挙行したあと、応仁の乱・戦国時代と続いた戦乱期にあって、9代の天皇が行えなかったが、元禄時代、1687年の東山天皇即位時に再興された。
大嘗会
律令国家の形成
律令国家の成立
白鳳文化
天武天皇は伊勢神宮を中心とする神祇制度の整備を進め、大嘗会の制を確立したが、同時に仏教も篤く保護するとともに、国家による統制を強め、国家仏教の確立をめざした。
大嘗宮を臨時に造営して斎場とする。天武・持統朝のころから始まったとされる。平城宮跡で奈良時代の3時期にわたる大嘗宮跡が発掘されている。
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幕藩体制の展開
幕政の安定
元禄時代
この時期の幕府は、将軍の権威を高め、かつ平和な秩序を維持するために、天皇·朝廷の権威を利用した。家康以来、天皇・朝廷を統制の枠のなかに閉じ込めてきたが、それを維持しつつ、その上である程度は朝廷の儀式などを復活させ、尊重するようにした。前代にみられた伊勢例幣使や石清水八幡宮放生会の再興に続いて、1687(貞享4)年、221年ぶりに大嘗会が、さらに94(元禄7)年、192年ぶりに賀茂葵祭が再興された。天皇即位の時の重要儀式である大嘗会は、1466(文正元)年に後土御門天皇が挙行したあと、9代の天皇が行えなかった。応仁の乱・戦国時代と続いた戦乱期にあって、朝廷の儀式の多くは中止せざるを得なかったのである。大嘗会は霊元上皇(在位1663〜87)の強い働きかけと幕府の判断で、東山天皇(在位1687〜1709)即位時に復活した。
大嘗会
大嘗会とは、天皇即位の儀式の一つで、即位の年の4月、悠紀国・主基国の国郡卜定が行われ、ついで8月に大祓、9月に新穀の穂を抜く儀式、11月上旬に大嘗宮の設営が行われ、11月の卯の日、夜半より翌朝にかけて大嘗祭の秘儀が行われる。秘儀は、大嘗宮のなかの新天皇のもとに皇祖神天照大神が降臨して、天皇としての認知を行うと理解されてきた。その後、豊明節会などが行われる。この7カ月に及ぶ儀式全体を江戸時代には大嘗会と呼んでいる。
このほか幕府は山陵の修理や禁裏御料の増献を行った。また、武家伝奏などの朝廷の人事についても、幕府の意向でまず人選したそれまでの方式を改め、朝廷がまず人選して、これを幕府の内意を得て決定するようにした。