天寿国繍帳 国宝。
聖徳太子の死後、妃の橘大郎女が、太子が往生した天寿国の有様を写した刺繍。現在はその断片が中宮寺に残る。
天寿国繍帳
聖徳太子の死後、妃の橘大郎女が、太子が往生した天寿国の有様を写した刺繍。現在はその断片が中宮寺に残る。
国宝・重要文化財データ
- 名称 天寿国繡帳残闕てんじゅこくしゅうちょうざんけつ
- 員数 1帳
- 種別 工芸品
- 国 日本
- 時代 飛鳥時代
- 寸法 縦88.8㎝ 横82.7㎝
- 品質・形状
紫羅、紫綾、白平絹の三種裂を下地裂として刺繡した断片を集め額装とする。
上中下の三段に分かれ、各段を左右に二分しているが、下地裂を混用し、図様も連続しない。
紫羅地には窄袖の異衣に褌の男子と裾広の褶の男子、衣裳の上に於須比をつけた女子、鳳凰、月兎、「部間人公」の文字のある亀形を表し、紫綾地には菩薩形、屋形、「干時多至」「利令者椋」の文字のある亀形二個、白平絹地には鴟尾をのせた入母屋造りの鐘楼と鐘を撞く僧、仏殿楼閣と男女、読経僧、仏像四躯を表す。
紫羅地に施した刺繡は、Z撚りの糸で返し繡、運針はほぼ平行線状に行う。紫綾地の刺繡は、甘いS撚りの糸で輪郭は返し繡と駒刺し、平面は平繡、刺し繡、繧げん繡が見られる。白平絹地の刺繡は、紫綾地と同様の糸を用いて平繡、あるいは平糸を用いた平繡、刺し繡を行う。 - 区分 国宝
- 所在都道府県 奈良県
- 所有者名 中宮寺
- 解説
『上宮聖徳法王帝説』の繡帳銘文によると、推古天皇30年2月に聖徳太子が亡くなられたことを悲しんだ妃橘大女郎が、天寿国における太子往生の様を図像によって見たいものと天皇に申し上げ、椋部秦久麻の監修の下、下絵を描かせ、釆女たちに刺繡させて繡帷二帳ををつくったという。この一部が現存の残闕である。
下地裂や刺繡の差違は、鎌倉時代に朽損がひどかったため、新たに写して製作したことによる。
現存する断片からは当初の大きさ、構図を推察することは困難であるが、残存部分に見られる図様は飛鳥時代の服飾の様相を示し、また紫羅地部分の刺繡は伝存最古の刺繡として極めて貴重である。