安政の改革( A.D.1855〜A.D.1860)
安政年間、老中阿部正弘を中心に実施された幕政改革をいう。日米和親条約後の公武協調路線のもと、国防強化を目的とし、海軍伝習所・洋学所の設立や清新な人材の登用も行った。
安政の改革
安政年間、老中阿部正弘を中心に実施された幕政改革をいう。国防強化を目的とし、海軍伝習所・洋学所の設立や清新な人材の登用も行った。
安政の改革 挙国一致策
目的 | 日米和親条約後の公武協調路線のもと、国防の強化など、諸外国に対する対応策を重点とした。 | |
内容 | 新体制 | ①前水戸藩主徳川斉昭を幕政に参画させる ②朝廷へ報告、諸大名・幕臣への意見聴取。福井(越前)藩主松平慶永・薩摩藩主島津斉彬・宇和島藩主伊達宗城らの政治参与 |
幕府の人材登用 | 川路聖謨[勘定奉行]、岩瀬忠震・永井尚志[目付・外国奉行など]、勝海舟(義邦)[長崎海軍伝習所伝習生]、江川太郎左衛門[韮山代官]らの登用 | |
海防策 | ①江戸湾品川沖に台場を築造 ②大船建造の禁を解く ③江戸に洋学所(のち蕃書調所)・講武所、長崎に海軍伝習所を設置。韮山に反射炉を建造 |
近代国家の成立
開国と幕末の動乱
開国
1853(嘉永6)年にペリーが来航した直後、老中阿部正弘(1819〜57)はペリーの来日とアメリカ大統領国書について朝廷に報告し、先例を破って諸大名や幕臣に国書への回答について意見を提出させた。幕府は、朝廷や大名と協調しながらこの難局にあたろうとしたが、この措置は朝廷を現実政治の場に引き出してその権威を高めるとともに、諸大名には幕政への発言の機会を与えることになり、幕府の専制的な政治運営を転換させる契機となった。また、幕府は越前藩主松平慶永(1828-90)·薩摩藩主島津斉彬(1809〜58)·宇和島藩主伊達宗城(1818〜92)らの開明的な藩主の協力も得ながら、幕臣の永井尚志(1816〜91)·岩瀬忠震(1818〜61)・川路聖謨(1801〜68)らの人材を登用し、さらに前水戸藩主徳川斉昭(1800〜60)を幕政に参与させた。
国防を充実させるため、江川太郎左衛門に命じて江戸湾に台場(砲台)を築き、武家諸法度で規定した大船建造の禁を解き、長崎には洋式軍艦の操作を学ばせるための海軍伝習所、江戸には軍事を中心とした洋学の教育・翻訳機関としての蕃書調所、幕臣とその子弟に軍事教育を行う講武所を設けるなどの改革(安政の改革)を行った。また、諸藩でも水戸・鹿児島・萩·佐賀藩などでは、反射炉の建造、大砲の製造、洋式の武器や軍艦の輸入などによる軍事力の強化をはかった。