宝暦事件 ほうれきじけん
1758(宝暦8)年、尊王論者の竹内式部が復古派の公家衆に、神書・儒書を講じ、武術稽古禁止の公卿に武技を教えたという理由で、朝廷統制の責任をもつ摂家によって処分された事件。公卿らも謹慎させられた。
宝暦事件
1758(宝暦8)年、竹内式部が復古派の公家衆に、神書・儒書を講じ、武技を教えたという理由で、朝廷統制の責任をもつ摂家によって処分された事件。公卿らも謹慎させられた。
幕藩体制の動揺
化政文化
政治・社会思想の発達
垂加神道を学んだ竹内式部(1712-67)は、京都で若い公家たちに『日本書紀』などを講義し、尊王論を説いて追放刑となり(宝暦事件)、さらに兵法家の山県大弐(1725-67)は、『柳子新論』を著し、朝廷が政権を担当すべきであるという尊王論を説き、幕府の腐敗を批判して死罪に処せられた(明和事件)。