小野妹子
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小野妹子 (生没年不詳 6世紀〜7世紀)

小野妹子おののいもこは、近江滋賀郡小野の豪族の出身。607年(推古15)、遣隋使として渡海。「日出づる処の天子」ではじまる国書を渡し隋の煬帝が不快の念を示したという。608年、隋使裴世清はいせいせいを伴って帰国。同年、隋使の帰国に際し、再度使者として隋へおもむく。高向玄理・僧の旻・南淵請安らが、学問僧・留学生として同行した。

小野妹子

「日出づる国」からの遣隋使

近江滋賀郡小野の豪族の出身。607年(推古15)、国書をたずさえて遣隋使として渡海。608年、隋使裴世清はいせいせいを伴って帰国。同年、隋使の帰国に際し、再度使者として隋へおもむく。高向玄理たかむこのくろまろ・僧のみん南淵請安みなみぶちのしょうあんらが、留学僧・留学生として同行した。

参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで

律令国家の形成

東アジア世界の形成と発展 邪馬台国連合
東アジア世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

飛鳥の朝廷

推古朝の政治
冠位十二階

冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小にわけて十二階とし、紫・青・赤・黄・白・黒の六色の冠を授けたものである。官位はそれまで氏族ごとに賜って世襲されたかばねとは異なり、個人の才能や功績、忠誠に応じて授けられたもので、その官人1代限りのものであり、また功績によって昇進することも可能であった。これは中国の官品や朝鮮諸国の官位を模範したものであったが、この制度によって、倭国の支配者層は、氏姓制度の世襲制を打破し、官僚制的な集団に自己を再編成しようとしたことになる。これ以降の官位・位階制は、全てこれを源流としている。
鞍作鳥くらつくりのとり秦河勝はたのかわかつ小野妹子おののいもこらは、従来の門地にとらわれずに官位を授与された例である。なお、この官位を授けられたのは、中央豪族のうちの大夫まえつきみ層以下の階層であって(律令制の四位以下)、大臣家としての蘇我氏や、王族、さらに地方豪族は、官位授与の枠外にあった。

隋との交渉

『隋書』東夷伝倭国条は、600年の第1次遣隋使を記録している。この時の遣隋使は隋の文帝(隋)に非難され、むなしく帰国したが、この遣隋使派遣は対朝鮮関係の打開が遠征策のみではもはや解決できず、外交が新しい課題となってきていることを示している。

『隋書』には、600年に倭国の遣隋使が拝朝したものの、文帝(隋)が、倭国の政治・風俗に「義理」のないことを非難し、これを訓じて改めさせたという記事がみえる(日本側の史料にはみえない)。607年に改めて派遣された第2次遣隋使の使者は、立派な冠位をかぶり、誇らしく倭国の政治理念(憲法)を語ったことであろう。

607年の第2次遣隋使は、小野妹子おののいもこが派遣されたものである。その国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、云々・・・」とあるように、倭国の大王が天子と自称したことに対して、隋の皇帝煬帝が不快の念を示したという。
これを対等の外交を目指したとまで考えるのは問題があり、あくまで朝貢外交の枠内のものであった。しかしながら、遣隋使の派遣がこれまでの卑弥呼や倭の五王の時代の外交と異なるのは、この時の倭国の大王が、中国の皇帝から冊封を受けなかったということである。倭国の大王は、中国の皇帝から自立した君主であることを隋から認定されることによって、中国皇帝から冊封を受けている朝鮮諸国に対する優位性を示そうとしたのである。

一方、608(推古16)年、「無礼」な「蛮夷」の使節の帰国に際して、煬帝が裴世清はいせいせいを国史として遣わしたのは、対戦中の高句麗が倭国と結びつくことを恐れたためであろう。

その後、遣隋使は、608年に裴世清の帰国に際しての送使として小野妹子が派遣された第3次、614年に犬神御田鍬いぬがみのみたすき(生没年不詳)が派遣された第4次と続いた。

なお、第3次遣隋使には、渡来人の子孫8人が留学生・学問僧としてしたがったが、そのうち、僧みんは632年に、高向玄理たかむこのげんり南淵請安みなぶちのしょうあんは640年に、隋の滅亡と唐の成立を体験して帰国している。
彼らはいずれも学塾を開いて、隋・唐帝国の先進知識を、中大兄皇子・中臣鎌足・蘇我入鹿ら倭国の次代の指導者たちに教授するとともに、中央集権国家形成の理論的指導者となった。

詳説日本史研究

同時代の人物

煬帝(569〜618)

隋朝の第2代皇帝。煬帝在位中に日本からの遣隋使は計4回派遣されている。 大運河をはじめとする大規模な土木工事と度重なる遠征の失敗から各地で農民反乱がおこり、煬帝は江南に逃亡したあげく、混乱のなかで殺され、隋はわずか38年で滅んだ。

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