戊戌の変法 ぼじゅつのへんぽう A.D.1898〜
19世紀末、日清戦争に敗れて洋務運動からの転換を迫られた清国は、康有為らを中心に明治維新を範に議会政治を基本とする立憲君主制をめざす変法運動を展開した。しかし、西太后によって変法運動は弾圧され、義和団の乱を招くこととなった。
戊戌の変法
戊戌の変法:1898年康有為・梁啓超らの変法派が光緒帝に登用されて進めた、立憲君主制の樹立を目指す政治改革。1898年6月より学校制度創設・行政改革などを次々と発令したが、西太后ら保守派の巻き返しにあい、百日あまりで失敗した。
戊戌の政変:西太后ら保守派によるクーデタ。1898年9月、袁世凱の寝返りで、変法派が弾圧され、光緒帝は幽閉された。
戊戌の変法:1898年、中国清王朝末期の光緒帝の時代に康有為や梁啓超ら変法派によって展開された国政改革運動で、中国の強化を図る変法(自強)運動ともいう。同年、西太后らは変法阻止のためのクーデタ(戊戌の政変)を起こした。
近代国家の成立
日露戦争と国際関係
北清事変と日英同盟
列強の進出に対抗して、清国内には光緒帝(1871〜1908)のもとで康有為(1858〜1927)·梁啓超(1873〜1929)らを中心に ❶ 、明治維新以来の日本の改革にならって立憲政治を取り入れて国内の改革をはかり、国力を充実しようとする動き(変法自強の運動)がおこったが、1898年、西太后(1835〜1908)ら保守派のクーデタによって変法派は一掃され、その多くは日本などの海外に亡命を余儀なくされ、改革は挫折した(戊戌の政変)。
❶ 日本に亡命した梁啓超は、日本の歴史・文化・生活習慣などを研究して、業績をあげた。