戦国時代(中国) (紀元前403年〜紀元前221年)
紀元前770年の「周の東遷」以降を東周(紀元前770〜紀元前256)、秦(王朝)によって中国が統一されるまでのおよそ550年におよぶ戦乱の時代が春秋・戦国時代であり、その前半、晋が三国(韓・魏・趙)に分裂するまでを春秋時代(紀元前770〜紀元前403)、分裂後を戦国時代(中国)(紀元前403〜紀元前221)とよぶ。
戦国時代(中国)
アジア・アメリカの古代文明
中国の古代文明
春秋・戦国時代
戦国七雄
国 | 建国年 | 滅亡年 | 国都 | 始祖 | 滅亡原因 | 姓 | 最初の爵位 | 分封者 |
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韓 | 紀元前403年 | 紀元前230年 | 陽、新鄭 | 景侯 | 秦により滅亡 | 姫 | 侯爵 | 威烈王 |
趙 | 紀元前403年 | 紀元前228年 | 邯鄲 | 烈侯 | 秦により滅亡 | 趙 | 侯爵 | 威烈王 |
魏 | 紀元前403年 | 紀元前225年 | 安邑、大梁 | 文侯 | 秦により滅亡 | 姫 | 侯爵 344年:王 | 威烈王 |
楚 | ? | 紀元前223年 | 丹陽、郢、陳、寿春 | 熊繹 | 秦により滅亡 | 羋 | 子爵 | 成王 |
燕 | 紀元前1100年 | 紀元前222年 | 薊 | 召公 | 秦により滅亡 | 姞 | 伯爵 | 武王 |
斉 | 紀元前386年 | 紀元前221年 | 臨淄 | 太公 | 秦により滅亡 | 嬀 | 侯爵 344年:王 | 安王 |
秦 | ? | 紀元前206年 | 雍、咸陽 | 非子 | 反秦軍により滅亡 | 嬴 | 伯爵 | 孝王? |
戦国時代の諸国は、従来の邑の集合体という国家形態から、領域全体を支配する領土国家へと変身し、秦・魏・趙・楚などは、開拓や水利事業をさかんに推進して、領土の拡大と農地の開発に努めた。七雄のうちもっとも西方にあった秦は、紀元前4世紀ころ富国強兵に成功し、急速に強大になった。これに対し、他の6国では、秦に対抗して6国が同盟を結ぶ合従策や、各国がそれぞれ秦と結んで安全をはかる連衡策など、権謀術数をつくした外交戦略が展開されたが、秦はたくみに6国の分断をはかり、東周の王室と6国を次々に滅ぼして、紀元前221年、ついに中国を統一した。
鄭国渠
秦の圧力に苦しんでいた韓は、水利技術者の鄭国を秦に送り込み、大規模な水利事業をおこさせて、秦の国力を消耗させようとはかった。こうして渭水の支流から約120kmにおよぶ大用水路を開く事業が開始されたが、工事の途中で、鄭国が韓の手先であることが露見してしまった。
殺されようとした鄭国は、この事業は必ず秦の利益になると弁明し、ついに工事の続行を許された。こうして完成した用水路が鄭国渠であり、この結果、4万余頃(約18万ha強)の肥沃な農地が開発されたという。時に秦王政(のちの始皇帝)の時代であり、秦はこれによって中国統一事業の財政的基盤をえたともいわれる。
社会の変動
春秋・戦国時代は農業技術が発達し、新しい思想も現れており、のちの統一帝国の基礎が形成された重要な時代であった。春秋の終わりから戦国の初めに鉄器が広範に普及した。しかし、中国で初めて使用されたものは鋳鉄であり、それから2〜3世紀遅れて、鍛鉄が出現した。鋳鉄は鉄を溶かして鋳型に入れて作るものであり、もろい欠点をもっていた。そのため青銅器が武器や祭器に使用されたのに対し、土木器具や農具として使用された。それまでの中国の農具はすべて石器か木器であったから、春秋時代中期以降、鉄器が使用されるようになると、農業は飛躍的に進歩した。
また、ほぼ同じ時期に、牛に鉄製の犂を引かせることがおこなわれるようになった。このいわゆる牛耕と鉄製農具の使用で、農業生産がしだいに高まり、小家族でも自立した農業経営が可能となったため、氏族の統制はゆるんでいった。
また、抗争を続けた諸国はそれぞれ富国策をとったので、商工業がさかんになった。中でも、東方の斉は桓公のとき、名臣管仲が製塩業などをさかんにして、巨大な利益を得た経済政策のおかげで、春秋時代、第一の覇者となった。戦国時代には、官営工業の他に民営の手工業者も数多く現れ、その主なものは製鉄と製塩であった。
生産力が高まり、商品生産がしだいに発達すると、貝貨(子安貝)とともに青銅の貨幣が用いられるようになった。春秋・戦国時代に鋳造されたのは、刀銭・布銭・蟻鼻銭・環銭(円銭)の4種類である。布銭は、古代の農具の鋤の形をまねたもので、韓・魏・趙でもちいられた。刀銭は、東方の燕と斉で用いられた。青銅製の刀子(小刀)を真似たものである。楚で用いられた蟻鼻銭は、貝貨をまねたものであるが、表面に奇怪な文字が刻まれている。
戦国末期には、各国で環銭が用いられた。秦が天下を統一したあと、秦の始皇帝は通貨を円形方孔の半両銭に統一し、その形は後代の銭の基本形となった。
商工業の発達にともない、商人のなかには王侯とならぶほどの富を持つものも現れた。また、都市の規模も大きくなり、そのなかに手工業者や商人の数が増大した。彼らの経済力は、都市生活を豊かにした。都市には商店が並び、各種の商品を売っていた。とりわけ斉の国都臨淄の繁栄は名高い。
このような情勢のうちに、周代の古い制度は崩れ、それまで公有であったといわれる土地は私有となった。土地が私有に移ったことは、同時に大土地所有の出発でもあった。とくに治水灌漑事業が大規模に進められた結果、共同体的な農業は大きな影響をうけ、家族による土地私有が始まり、戦国時代には大土地所有者も現れた。また「封建」体制下の世襲的身分や氏族制的な統制もゆるみ、実力万能の時代となった。
春秋時代には、それまで中国文化の圏外にあった長江流域に、楚・呉・越などの諸国が成立し、戦国時代には、秦が四川方面を、燕が東北地方南部を征服し、朝鮮半島北部にも中国人居住地ができ、中国文化は著しく拡大した。
古代思想界の開花
春秋末から戦国時代にわたり、血縁を基盤とする「封建」体制が崩壊し、諸侯は新しい統一の原理を求めていた。また、富国強兵にともなう実力主義による積極的な人材登用をおこなった。また、文字の使用は春秋期にはいると著しく拡大し、支配層だけに限られるものでなくなった。こういった文字の普及は、思想家の出現と無関係ではなかった。このような状況のもとに、諸子百家と呼ばれる多くの思想家や学派が生まれた。
諸子百家
諸子 | 孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子 |
百家 | 陰陽家・儒家・墨家・法家・名家・道家・縦横家・雑家・農家・小説家・兵家 |
儒家
儒家は孔子(紀元前551頃〜紀元前479)の始めた学派で、家族倫理の実践によって人格を完成し、礼を実践することによって、ついには理想社会と天下泰平の実現が可能であるとした。
孔子は名は丘、字は仲尼といい、春秋時代の小国魯の曲阜(山東省)に生まれ、15歳で学問に志し、30歳ころ自身の思想を確立した。彼は、社会の基礎を礼におき、周の礼を理想としたが、当時、礼が効力を失っていたので、それを立て直すために、人と人との間に自然に備わる道徳的な心情としての仁を強調し、この仁の完成により天下を平らかにすることができるとした。また、理想の政治は、天命を受けた有徳の天子がおこなうべきで、周の政治、とくに周公の治世を模範とした。これを徳治主義という。孔子は、古来の礼を回復し、政治と倫理・道徳を関連させる説をたてた。その言行は、『論語』に記録されている。儒家は後世、中国の正統の学問として大きな影響を与えることになる。
孔子の孫の子思の門人から儒教を学んだのが孟子(紀元前372頃〜紀元前289頃)で、紀元前4世紀ころ各地を遊説した。思想の中心に「仁・義」をおいたほか、天命が有徳者に移るとする改革論を説き、人間の本性は善であるとする性善説を主張した。儒教は魯からしだいに各地へ広がっていったが、最初に大きな影響を受けたのは魏である。儒家は、ここで多くの人材を養成して、魏に全盛時代をもたらした。
斉では全国から学者を招き、都臨淄に邸宅をつくり、ここに彼らを住まわせ保護した。
ここで孟子や荀子が活躍し、儒教を盛んにした。荀子(紀元前298頃〜紀元前235頃)は趙に生まれ、性悪説を唱え、本性が悪である人間から、悪をのぞくために礼による規律維持が必要であるとして、孟子とはことなる方向で孔子の思想を継承・発展させた。
墨家
このような儒教の発展に対しては、多くの批判者や対立する立場をとるものが現れた。孔子に対して、最初に異を唱えたのが墨家である。墨家の祖である墨子は、孔子の説く仁を差別的な愛とし、形式的な礼楽の説や家族道徳を第一とすることに反対し、血縁を超えた無差別平等の「兼愛」を主張した。万人に対する博愛主義にたち、浪費をいましめ、相互の助け合い(交利)を主張し、戦争は浪費の最大なものとして、非戦論(非攻)を唱えた。
道家
また、孔子の説く仁や礼を人為的なものだとして、一切の人為を排してあるがままの状態にさかわらず「無為自然」を説いた老子や荘子(紀元前4世紀頃)は、道家の祖となった。老子は、楚の人で姓は李、名は耳と言われるが、伝説的要素が多く明らかでない。孔子と同時代といわれるが、かなり後世の人とみられている。老子は、儒教が形式化し、それに合わせようとする不自然な努力を否定し、一切の人為的なものを排して、万物の根源を無であるとし、そして無の性格は自然であること、すなわち「無為自然」を主張し、すべての根源である「道」への合一を求めた(老荘思想)。この説は、のちに民間信仰と結びついて、中国思想界に大きな影響を与えた。
法家
法家の思想は、戦国時代に商鞅や韓非によって説かれた思想である。
この時代は富国強兵が普及し、国力の増強にあたっては、孔子の徳治主義は政治的に現実の実効性にそぐわなくなり、新しい強力な思想が求められた。韓非は戦国時代の韓の一族であるが、はじめ李斯とともに荀子に学び、韓に仕えたが用いられず、『韓非子』を著して政治の方法を論じた。すなわち、荀子の礼を実施するには法律的な強制をもってしなければならないとし、ここに法家の学が大成したのである。これを法治主義という。商鞅や韓非などに代表される法家の思想は、法によって民衆を統制し、国内を統一しようとするもので、秦はこの思想を採用し、法治主義は中国の思想史上重要な位置を占めることになった。
名家
また、戦国時代には弁者・策子などと称される論理学派があった。特定の学派の成立はなかったが、のち名家の名称が生まれた。名は事物に与えられた名称で、それは事物の本質やあり方に対応する。したがって名と実との間に不一致があってはならないとした。この派の代表的な思想家が公孫竜である。その説に有名な「白馬非馬論」がある。白馬は白と馬の2概念で、馬は1概念だから、白馬は馬ではないというものである。
兵家
このほか兵法を論じた兵家があり、戦国時代に兵法書が多く作られた。
戦術や戦略を研究して、一家をなした孫武・孫臏・呉起らの兵法学者が現れた。
縦横家
また、戦国時代の七雄が抗争する中で、外交戦略が展開された。各国は、あるときは合従し、あるときは連衡する同盟や外交術策を練った。この理論を唱えたのが縦横家で、代表的人物には蘇秦・張儀らがいる。
陰陽家、農家
さらに、天体の運行と人間生活との関係を説いた陰陽家(鄒衍)や、農業技術を説いた農家などの諸家があった。
『春秋』など儒教の経典をはじめとする諸子百家の文献に加えて、文学作品としては、黄河流域を中心とした各地の民謡を集めた『詩経』や、南の楚の屈原らの詩を集めた『楚辞』などがまとめられた。
『詩経』:中国最古の詩集305篇。戦国時代に儒家が編集したもの(孔子の編とされる)。五経のひとつである。『楚辞』:戦国の楚の屈原や宋玉らの辞賦を集めたもの。作品には南方系の方言がみられる。
秦の統一
秦は中国の北西辺境の地におこり、渭水に沿って次第に東へ移動しながら勢力を拡大していった。戦国時代(中国)はじめの孝公(秦)のとき都を咸陽に移し、法家の商鞅を用いて富国強兵政策を行い中央集権化をはかった。その後、秦は戦国七雄のうちで最強となり、秦王の政のとき、東周および東方の6国を次々に滅ぼして、紀元前221年に中国を統一した。中国を統一して諸王の王となった秦王の政は、「王」に変えて新たに「皇帝」(「煌々たる上帝」、光り輝く絶対神という意味)の称号を採用した。すなわち秦の始皇帝(位紀元前221〜紀元前210)である。始皇帝は、法家の李斯の意見にもとづき中央集権的な統一政策を実施した。
商鞅の改革
商鞅は衛の国の公子で、形名(法律)を学んだが衛の国では受け入れられず、秦に入り、紀元前361年以降、孝公(秦)に使えた。商鞅は孝公に富国強兵を説いて受け入れられ、中央集権的支配体制の確立に努めた。改革の中心は以下の点である。
- 県制の実施:新しい占領地(小国)に県制を施行し、長官を派遣しておさめた。これによって農民を直接国家の成員として把握、個々の農民を支配して税役の基盤とした。
- 分異の法:成人男性が2人以上いる家庭を強制的に分家させて小家族を作り、新開地に移住させた。この結果、生産力が大いに向上した。
- 什伍の制:農民を5家・10家単位で隣組を作らせ、治安維持などの面で連帯責任を負わせた。
- 軍功爵 軍功によって爵位を与え、その爵位の等級に応じて土地・財産を与える。出身氏族の区別無しに兵士に採用し、手柄をたてたものには、身分の差なく爵位を与えた。また、爵位の等級によって土地・財産が与えられ、兵士たちの忠誠心や戦意は飛躍的に向上した。
こうした一連の改革は「商鞅の変法」と呼ばれ、厳格な賞罰規定が設けられた。
戦国時代が登場する作品
孫子兵法
孫正義やビル・ゲイツも愛読したビジネス戦略の礎となった古典、孫子兵法。諸葛亮孔明や曹操が戦略の根基とした無敵の兵法の誕生秘話をHDでドラマ化。
中国春秋時代の兵法書『孫子』を著したとされる思想家孫武の半生、紀元前500年頃の群雄割拠の時代を描いた物語。
孫子兵法 あらすじと登場人物 – 世界の歴史まっぷ
大秦帝国 -QIN EMPIRE-
紀元前4世紀中頃。秦が弱小国から強国へと発展していく歴史を、「商鞅の変法」を中心に描く。楚、斉、燕など諸侯国に攻め立てられ滅亡寸前の秦の君主となった孝公は、魏国出身の稀代の策士・商鞅と共に法による一大改革に乗り出す。
大秦帝国 -QIN EMPIRE- あらすじと登場人物 – 世界の歴史まっぷ
大秦帝国 縦横 ~強国への道~
大秦帝国 -QIN EMPIRE- あらすじと登場人物の続きとなる作品。始皇帝が中国を統一する約100年前、“商鞅の改革”により国力増強に成功した秦を舞台に、縦横家が割拠した第26代君主・恵文王の時代を中心に描く。
大秦帝国 縦横 ~強国への道~ あらすじと登場人物 – 世界の歴史まっぷ