旧石器時代
打製石器や骨角器を道具とした、石器時代のうちもっとも古い時代。主に狩猟・採集をしながら移動生活をしていた。約250万年前から約1万3000年前にあたり、更新世にほぼ相当する。
旧石器時代
打製石器や骨角器を道具とした、石器時代のうちもっとも古い時代。主に狩猟・採集をしながら移動生活をしていた。約250万年前から約1万3000年前にあたり、更新世にほぼ相当する。
- 日本
- 3万5000年前より古い時代:前期旧石器時代
- 3万5000〜1万年前:後期旧石器時代
- 世界
先史の世界
原人
180万年前、地質年代で更新世(洪積世,180万〜1万年前)に入る頃、アフリカに原人が出現する。脳容積は猿人の倍で、1000cc以上のものがある。そして中国西南部の山地の元謀から170万年前の人骨がみつかり、彼らが火と石器を用いていたことがわかった。より遅れて50万年前に北京原人(旧学名:シナントロプス・ペキネンシス,現在はホモ・エレクトス・ペキネンシス)が現れた。中国でのちに発見された藍田人も原人に属する。またインドネシアのジャワ島サンギランで1891年に発見されたジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス)は130万年前に現れたといわれている。そのほか東アジアではタイ・ベトナム・朝鮮半島で原人の骨が見つかっている。
原人たちは野生動物や植物を採集して食料を得、集団をなして生活しいた。すでに原始的な石器をも用いていた。最古の石器はエチオピアのハダール(アファール盆地)出土のもので、250万年前と推定される。タンザニアのオルドヴァイ峡谷でもホモ・ハビリスが用いていた礫器(他の石を打ち付け、欠けさせ、ギザギザにして、切るためなどに用いた石器で、石核石器という。)や剥片石器(石を打ち付けて剥がされた方の薄片の石器。動物の皮はぎなどに用いた。)などが見つかっている。原人は木や樹皮・獣皮の加工をも行ない、男女による労働の分担がなされていたとも推測される。アフリカの原人が火を使用した痕跡は100万年より古い証拠がないが、おそらくもっと早くから使用していたと考えられる。150万年前ころから石器に進歩がみられ、刃がまっすぐになるよう入念な加工がなされている。これらをアユーレアン石器と呼び、握斧あくふ(ハンド・アックス)、クリーヴァー(切り裂くのに用いた)などがある。ジャワ原人が石器を用いた証拠はないが、北京原人は洞窟に居住して火を調理と暖房に用いていた。石器と竹や籐を編んだ道具も使用した。言語を用いたことも確実で、死者の脳を食べた形跡もあることから、彼らは何らかの儀式をおこなっていたと推測される。
旧人
ネアンデルタール人は12万年前から3万5000年前にかけて、ヨーロッパから中央アジアまで広く存在した。
彼らは厳しい自然環境に対しても工夫する能力をもち、小屋を作り、集団でマンモスなどの大型獣を狩猟した。石器は調整石核技法により、鋭いスクレーバー(掻器と言われ、獣皮の剥離切断に用いられた)、ポイント(尖頭器)をつくった。石器や木材・木器の加工場、動物の解体場などもあった。小屋には炉と調理場があり、食料の種類も多くなったことがわかる。彼らの儀礼についても、死者の脳を食べる儀式を行い、丁寧に埋葬したことが明らかである。
新人
最初の新人(ホモ・サピエンス・サピエンヌ)は6万〜5万年前、やはりアフリカに現れた。
新人の石器をつくる技術は非常に進歩し、後期旧石器の時代が始まる。ひとつの石核からたくさんの石刃をとる石刃技法が広く各地で発達し、各種の石器が多様な目的に応じてつくられた。
小型石器に加え、低温でも強さが変わらない骨や角が用いられはじめ、槍・銛・釣針・針などの細かく鋭い骨角器がつくられた。これにともない、網なども用いられて新しい生活技術が導入された。彼らは社会と呼ぶべき集落をつくり、集団墓地をも営んだ。
石器はしだいに地域ごとの特色を示し始める。それは自分たちのグループの同族意識の現れを示すと思われ、他のグループとの争いも生じた。また遠隔地のグループとの交易もおこなわれるようになった。各地に広がっていった新人たちの間には、こうしてしだいに人種の別が生じていったものと思われる。
彼らはまた最古の芸術というべきものを描いている。初めて彩色壁画を残し、石のヴィーナスと呼ばれる素朴な母神像がヨーロッパ全域から見つかっている。これらの芸術は、いずれもが豊饒や繁栄を祈る彼らの宗教的儀礼と不可分のものであったと思われる。埋葬の仕方は綿密になり、屈葬をおこなって副葬品をもおさめている。
新環境への適応
1万年前、更新世が終わり、地球は温暖になって完新世(沖積世)に入る。氷河が後退して陸地はだいたい現在のような姿になった。動植物の相も一変した。マンモス・トナカイなどの大型獣は寒いところを好んで北に退くか、滅亡した。人類の中にはこれらを追って北に移動するものがあり、とどまったものは暖かい地方を好む猪や鹿を狩猟するようになった。また植物の繁茂により採集が容易に、また綿密になり、魚介類も多く利用されて食生活は飛躍的に豊かになった。人類は各地で自然環境に適応し、それぞれの生活様式を生み出していった。
ユーラシア北部では細石器の鏃やじりつきの弓矢が普及し、狼を犬に家畜化して狩猟を効果的に行なうようになった。少人数が狩猟に出かけ、他のものは河川や海岸沿いに定住して漁労や植物採集をおこなう分業もみられた。またあるグループには、アカジカのみを狩猟するなどの牧畜的行動もみられ出した。ハシバミの実の採集に栽培の様子が見られるグループもある。南部草原地帯では移動的な狩猟生活がおこなわれ、彼らは岩壁などに狩猟・戦闘・舞踏などの場面を岩絵として残している。
西アジアや東地中海のパレスチナなどではカモシカ・羊・山羊・豚・牛などの野生動物が多く、小麦・大麦・エンドウ・レンズ豆の先祖種がよく自生して、人間たちは狩猟・採集を盛んに行った。ここではフリント製細石器のナイフなどが用いられた。食料が豊富になると人口も増え、泥土や石壁の家がたつ集落も生まれ、農耕・牧畜の前段階に入りつつあった。
この時代には新しい自然環境の変化に応じて人類は生活をもそれに適応させ、新しくしていったが、石器から見ると更新世末期の、打製石器を用いる素朴な旧石器の時代から、細石器を用いる中石器時代に入った。やがて人類は農耕・牧畜をおこなう変革・発展の時代に入るが、それは石器がきれいに磨かれ、繊細につくられる新石器時代の開始でもあった。
日本文化のあけぼの
文化の始まり
旧石器時代人の生活
考古学の時代区分
考古学では、人類の文化を、使用された道具、特に利器の材質によって、石器時代・青銅器時代・鉄器時代に区分している。
石器時代は、打ち欠いただけの打製石器のみを用いた旧石器時代と、石器を磨いて仕上げている磨製石器が出現する新石器時代とに分けられる。
世界的には、更新世に属する人類文化を旧石器文化と呼ぶことが定着している。
日本では、旧石器時代の遺跡が知られるようになったころ、縄文土器以前、縄文時代以前、という意味で「先土器時代」「先縄文時代」という名称が用いられた。しかし、日本でもこの時代の遺跡の発見が相次いだことから、現在では「旧石器時代」という名称を用いることが一般的になっている。
ただし後続する時代について、日本では「新石器時代」ではなく、「縄文時代」「弥生時代」という名称が定着している。この点は用語として一貫性がないので、旧石器時代を「岩宿時代」と呼ぼうという提唱もある。
なお、世界各地で、完新世に入ってからの食糧採取の時代、または細石器が主に使用された時代を「中石器時代」と呼び、旧石器時代と分離して扱うことがある。日本でも縄文時代の古い部分を中石器時代と考える人がいる。
旧石器時代の石器
旧石器は、礫(石塊)の周辺を打ち砕いて刃を作り出した「石核石器」と、石核から剥ぎ取られた破片(剝片)に刃を作り出した「剝片石器」に分けられる。猿人・原人の用いた石器は主に石核石器であり、中期旧石器時代に剝片石器が発達した。後期旧石器時代には、剝片を一層注意深く多量に作り出す技法が発達した。その結果、作り出された薄く長い剝片は石刃と呼ばれ、各種の石器の素材となった。
世界の考古学の常識では、旧石器時代に磨製石器は見られないことになっている。
ところが日本では、3万5000年前以降、AT火山灰降下以前の遺跡から、打製石斧とともに、部分的に刃を磨いて作られた局部磨製石斧がしばしば発見される。
ナイフ形石器は2万2000〜1万4000年前に最も普遍的な石器となる。東北・中部地方北部に東山・杉久保型ナイフ形石器、関東・中部地方南部に茂呂型ナイフ形石器、近畿・瀬戸内地方に国府型ナイフ形石器がそれぞれ分布している。それらは石器の石材と制作技法違いから区別される。それぞれの分布圏を超えて、例えば山形県越中山K遺跡から国府型ナイフ形石器とその素材と成井氏が発見されたことは、長距離の人と物の移動が行われたことを物語る。
旧石器・縄文・弥生文化の特色比較表
旧石器・縄文・弥生文化の特色
旧石器文化 | 縄文文化 | 弥生文化 | |
自然 環境 | 乾燥・寒冷=針葉樹林 | 湿潤・温暖=東日本は落葉広葉樹林、西日本は照葉樹林 海面上昇(縄文海進)で入江が多くなる |
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大型動物=ナウマンゾウ・オオツノジカ・マンモス・ヘラジカ | 中・小型動物=ニホンシカ・イノシシ・鳥類 | ||
経済 ・ 社会 | 狩猟・採取 | 採取・狩猟・漁労 貧富・身分の差はまだない | 水稲耕作・採取・狩猟・漁労=豚の飼育なども貧富・身分の差が発生=各地に小国の分立 |
道具 | 石器時代=打製石器 打製石斧・ナイフ形石器・尖頭器・末期に細石器など | 石器時代=打製石器と磨製石器 石鏃・石匙・石皿・磨製石斧 石槍・弓矢=中・小型動物を捕らえる 骨角器=釣針・銛・やす・土錘・石錘, 丸木舟 貯蔵穴=採取した木の実などの保存 | 鉄器時代=鉄器 武器・実用の工具。のちに鉄鎌・鉄斧 青銅器=祭器・宝器・装身具など 磨製石器=磨製片刃石斧・石包丁・紡錘車 木製の鍬・鋤・田下駄、木臼・竪杵 |
縄文土器=低温で焼かれ、厚手・黒褐色・縄目の文様 | 弥生土器=薄手・赤褐色 | ||
住居 ・ 衣服 | 移動=一定の範囲内を移動 簡単なテント式の住居。洞穴・岩陰を一時的に住居として利用 | 定住=竪穴住居(中央に炉を設置。1戸に数人から10人程度) 湧き水の得られる台地上に集落を形成(環状集落が主) 海岸近くの集落には貝塚が見られる | 定住=竪穴住居に住み、掘立柱の高床倉庫を利用(穀物保管) 環濠集落と高地性集落 男は袈裟衣、女は貫頭衣を着用 |
墓制 ・ 宗教 | 未解明 | 屈葬=手足の関節を折り曲げて埋葬 共同墓地(貝塚はゴミ捨て場兼埋葬場) アニミズム(精霊崇拝) 土偶・土版・石棒など呪術的遺物 抜歯や叉状研歯の風習 | 伸展葬=手足を伸ばして埋葬 九州北部に甕棺墓・箱式石棺墓・支石墓。東日本に再葬墓各地に土壙墓・木棺墓・壺棺墓・方形周溝墓 弥生後期に西日本で大きな墳丘墓 農耕儀礼が発達 |