昌徳宮 (チャンドックン) 正宮である景福宮に対する離宮として、1405年に創建された李氏朝鮮の宮殿。1997年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
昌徳宮
歴史
- 1405年
- 景福宮の離宮として創建される。
李氏朝鮮第9代成宗が正宮として使用する。 - 1592年
- 文禄の役で日本の軍勢が首都に迫る中、李氏朝鮮第14代国王・宣祖一行が漢城から逃亡し、治安が乱れて豊臣秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となる。昌徳宮・景福宮・昌慶宮が焼失。
- 1868年
- 李氏朝鮮第26代国王高宗の父・興宣大院君により景福宮が再建され、昌徳宮を再び離宮として使用する。
- 1907年
- 純宗が大韓帝国の皇帝に即位し、宮殿として使用する。
- 1910年
- 日韓併合後も李王となった純宗の住まいとなり、朝鮮総督府により改築される。
- 1997年
- ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録される。
世界遺産
昌徳宮内地図
仁政殿周辺
公式的な儀式の場である正殿(チョンジョン)、王の執務空間である便殿(ピョンジョン)、王と王妃の生活空間である寝殿(チンジョン)
昌徳宮仁寺洞・鍾路(ソウル)の観光スポット韓国旅行「コネスト」
秘苑周辺
昌徳宮の北側に位置する庭園と散策路が広がる空間。王族のみに開かれた宮殿の裏庭として、王たちの憩いと思索の場でした。
案内図
建築物
敦化門(トンファムン)
昌徳宮の正門(大門)、1412年当初の建築
大造殿(テジョジョン)
王妃の生活空間
宣政殿(ソンジョンジョン)
王と臣下が議論をしたり、儒生の試験会場や宴会の場となるなど公式の執務の場であった
楽善斎
王の妾や女官が余生を送った目立たない場所
熙政堂
王の日常生活の場
仁政殿(インジョンジョン)
昌徳宮の中心的な場所で宮内外の公式行事が執り行われた
仁政門
仁政殿に入って行く大門
錦川橋
仁政門の前にある石橋
御車庫
王と王妃が使った自動車とお御輿を保管している場所
水辣間(スラッカン)
王室の台所
後苑
秘苑(ビウォン)と呼ばれ韓国の代表的な庭園
金虎門
昌徳宮の西門