明暦の大火 めいれきのたいか A.D.1657〜
1657年、本郷丸山の本妙寺から出火し、翌日小石川、麹町からも出火。江戸城を含め江戸の6割が焼失した。死者は5〜10万人。大火後、江戸の都市改造がおこなわれ、広小路や火除地などが設けられた。
明暦の大火
1657年、本郷丸山の本妙寺から出火し、江戸城を含め江戸の6割が焼失した。死者は5〜10万人。大火後、江戸の都市改造がおこなわれ、広小路や火除地などが設けられた。
幕藩体制の展開
幕政の安定
元禄時代
江戸幕府初期から続いた比較的豊かだった鉱山収入も、この時期に減少し、金銀の産出量低下はただちに幕府財政の収入減につながった。また明暦の大火後の江戸城や市街の再建費用と、引き続く元禄期の寺社造営費用は、大きな支出増となって幕府財政の破綻を招くことになった。