木戸幸一 (1889年7月18日〜1977年4月6日)
日本の官僚、政治家。侯爵。昭和天皇の側近の一人として東條英機を首相に推薦するなど太平洋戦争前後の政治に関与した。第二次世界大戦 敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、東京裁判において終身刑となったが後に仮釈放された。
木戸幸一
政治家歴
第52代 文部大臣
内閣: 第1次近衛内閣
在任期間: 1937年10月22日 – 1938年5月26日
初代 厚生大臣
内閣: 第1次近衛内閣
在任期間: 1938年1月11日 – 1939年1月5日
第58代 内務大臣
内閣: 平沼内閣
在任期間: 1939年1月5日 – 1939年8月30日
第11代 内大臣
在任期間: 1940年6月1日 – 1945年11月24日
和平工作に傾倒
第二次世界大戦中、和平派重臣と提携して昭和20年6月、和平方針案の「木戸試案」を作成、鈴木貫太郎内閣の面々や陸海軍に和平方針を説いて回るなど、和平派の中心人物の一人として動いた。
徹底抗戦を主張する陸軍に「木戸試案」を納得させたことで和平への動きは大きく高まることになったが、暗殺計画が持ち上がるほど本土決戦派から疎まれた木戸は、8月15日未明、横浜警備隊長であった佐々木武雄陸軍大尉を隊長として横浜高等工業学校の学生らによって構成された「国民神風隊」によって、平沼や鈴木と同様に自宅を焼き討ちされた(宮城事件)。