甲午農民戦争 (東学党の乱 (
A.D.1894〜)
朝鮮南部での農民蜂起。民衆宗教東学党の幹部全琫準らが農民軍を率いた大反乱。朝鮮政府は鎮圧できず清軍が救援出兵すると日本も天津条約を口実に出兵。農民軍は政府と講和したが日清両国は撤兵せず、日清戦争に突入した。
甲午農民戦争
朝鮮王朝末期、全羅道でおこった農民蜂起。指導者に東学の幹部全琫準らがいたため、東学の乱とも呼ばれる。朝鮮政府が清に援軍を要請すると、日本も朝鮮に兵を出した。政府は反乱勢力と講和したが、日清両国は撤兵せず、日清戦争に突入した。
朝鮮南部での農民蜂起。東学党の乱ともいう。東学はカトリックの西学に対する呼称で、崔済愚が創始した民衆宗教。「逐洋斥倭」をとなえ、全琫準らが農民軍を率いて大反乱となる。朝鮮政府は鎮圧できず、清軍が救援出兵し、日本軍も天津条約を口実に出兵。農民軍は朝鮮政府と和解した。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
甲午農民戦争と日清戦争
新興宗教の東学が窮乏農民や没落官人の信仰を集めるようになり、1894年4月、東学門下の全琫準(チョンボンジュン 1854〜95)が地方官の暴政に対し農民を率いて挙兵すると、「逐洋斥倭」(洋〈西洋〉と倭〈日本〉を排斥する)をスローガンに掲げる東学のもとに多数の農民が参集し、南部全羅道を中心に大農民反乱へと広がっていった。これを甲午農民戦争(東学党の乱)と呼ぶ。
甲午農民戦争がおこると、朝鮮政府は清に軍隊の派遣を要請し、清軍が朝鮮に出動すると、これに対抗して日本もただちに出兵をおこなった。ここにいたって、反乱が日清両国の朝鮮侵略を招く危険性を察知した朝鮮政府と東学党は、6月に停戦協定(全州和議)を結んだ。事件を朝鮮半島における勢力挽回の好機と考えた日本政府は、清国に対して甲午農民戦争の日清両軍による徹底鎮圧を提案し、朝鮮政府には内政干渉的要求を突きつけるなど、事態の紛糾と拡大化に努めていった。日清両軍による甲午農民戦争の徹底鎮圧の提案が清朝側に拒否されると、7月末、日本は清軍に奇襲攻撃をかけ、ここに日清戦争(1894〜95)が勃発した。
東学
東学とは朝鮮王朝末期の1860年ころ、没落官人(両班)出身の崔済愚(チェジェウ 1824〜64)が、キリスト教(西学)とともに進出してきた欧米列強が朝鮮の伝統的社会を侵食しつつある状況を憂慮し、これに対抗するために創始した新興宗教で、儒・仏・道3教と民間信仰を融合させ、一部キリスト教的要素も加えたものといわれる。朝鮮政府は、東学を「邪教」として弾圧し、崔済愚は処刑されたが、多くの窮乏農民や没落官人が東学に救済の希望をよせ、2代教主崔時亨(1827〜98)のもとで、一大教団に成長していった。東学は排外主義や政治腐敗への素朴な批判のほか、お札やまじないによる無病息災の祈願といった土浴的要素を濃厚に有していた。このような東学に率いられた甲午農民戦争は、欧米列強の圧迫に対する民衆の本能的な民族主義の爆発と、そこに含まれる保守的・迷信的要素をもつ点で、清末の義和団運動とよく似た性格をもつといえよう。
甲午農民戦争が登場する作品
ドラマ「明成皇后」
ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
楽天TVでも観ることができます。 明成皇后