柿本人麻呂
A.D.660〜A.D.724
飛鳥時代の歌人。天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。ただし、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある。
柿本人麻呂
代表歌
「天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ」
「東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
「ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみぢば)の 過ぎにし君が 形見とぞ来し」
「近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ」
百人一首
「足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿」(あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む)
訳:夜になると谷を隔てて独り寂しく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように、長い長いこの夜を、私は独り寂しく寝るのだろう。