江華島事件
A.D.1875〜
日本の軍艦雲揚号が艦長井上良馨らを中心に朝鮮の首都漢城近くの漢江河口にある江華島で挑発行為を行い、砲撃を受けたため、日本側が報復攻撃し、仁川港対岸の永宗城島を占領した事件。翌年に日朝修好条規を締結し朝鮮は開国した。
江華島事件
朝鮮と日本の武力衝突。江華島水域で挑発的な示威行動をとる日本の軍艦を朝鮮が攻撃すると、日本は応戦して付近を占領した。この結果、1876年に日朝修好条規が結ばれ、朝鮮は開国した。
日本の軍艦雲揚号が艦長井上良馨らを中心に朝鮮の江華島で挑発行為を行い、砲撃を受けたため、日本側が報復攻撃し、仁川港対岸の永宗城島を占領した事件。翌年に日朝修好条規を締結。江華府のある江華島は、首都漢城近くの漢江河口にある。
江華島事件が登場する作品
ドラマ「明成皇后」
ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
楽天TVでも観ることができます。 明成皇后
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
朝鮮の開国
1875年におきた江華島事件を契機に、日本政府は、朝鮮に強い圧力をかけ、翌76年、釜山・仁川・元山の3港の開港のほか、領事裁判権や日本側に一方的な無関税特権など、不平等条項を含む日朝修好条規(江華島条約)を結んだ。
江華島事件と日本の対朝鮮外交
江華島事件とは、朝鮮王朝の首都漢城(ソウル)に近い江華島沖合で、日本の軍艦が無断で測量をおこない、さらに飲料水補給を理由に上陸をはかったため、朝鮮側の砲撃をうけて交戦した事件である。事件後、黒田清隆を代表とする一行は、6隻の軍艦とともに江華島に乗りこみ、終始威嚇的な態度で交渉に臨んで、朝鮮に不平等条約を押しつけたが、これは、いわば日本がかつてペーリーの黒船に威嚇されて不平等条約を押しつけられたのを、そっくりそのまま朝鮮に対して適用したかたちであった。実際、外務卿寺島宗則は、駐日アメリカ公使ビンガム Bingham に「ペリー提督が下田に来たる如きの処置なり」と語っているし、イギリス公使パークス Parkesは、日朝修好条規と1858年の日英修好通商条約はよく似ていると所感を記している。