法隆寺五重塔
B.C.593〜A.D.709
釈尊の遺骨を奉安するための塔(ストゥーパ)。わが国最古の五重塔。最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されている。
法隆寺五重塔
五重塔は安定した美しい外観をもつ最古の木造塔で、金堂にひきつづいて七世紀末に建立されたものと思われる。
二重基壇上に建ち、初重柱間寸法は一辺二一・一八尺(約六・四二メートル)、五重はちょうどその半分とする。柱間寸法は金堂と同じく高麗尺七寸五分(約二七センチ)を単位として規格的に定められている。組物は金堂同様の雲斗雲肘木であるが、渦文はない。深く出る軒も金堂同様の一軒角垂木で、その上にすぐ瓦を葺き、屋根勾配はゆるい。五重目は現在野屋根を用いて勾配を強めているが、もとは下方同様であった。
初重の側回りは中央間扉口、脇の間連子窓とするが、窓の裏は土壁をぬり、これにもと金堂と同じ壁画を画いていた。心柱は地中に心礎を据えて掘立柱とし、心礎の舎利孔には容器におさめた舎利を安置するが、現在では心柱の地中部分は空洞化し砂を充填している。四天柱をつつみこんで塑像の須弥山を構え、天井板には蓮花文を画く。
二重以上は柱盤の上に短い丸柱を立て、順次積上げる。上方の柱間の落ちが大きいので三重側肘木を短くし、四重では脇の間の肘木をつないで中央に雲斗一個をのせ、五重は柱間を二間とする。裳階は金堂と類似し、建立時期は塔本体とあまり差はないらしい。
法隆寺金堂などとともに飛鳥様式を色濃く伝えるものと考えられ、洗練された意匠になる名塔である。
国宝・重要文化財データ
- 名称: 法隆寺五重塔ほうりゅうじごじゅうのとう
- 員数: 1基
- 種別: 近世以前/寺院
- 時代: 飛鳥
- 西暦: 593-709
- 構造及び形式等: 三間五重塔婆、初重もこし付、本瓦葺、もこし板葺
- 国宝・重文区分: 国宝
- 重文指定年月日: 1897.12.28(明治30.12.28)
- 国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
- 所在都道府県: 奈良県
- 所在地: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
- 所有者名: 法隆寺