第2次桂内閣( A.D.1908〜A.D.1911)
戊申詔書を発して国民に勤倹を説き経済再建を実施。大逆事件・工場法交付など社会運動の弾圧を行い、第二次日露協約・韓国併合を実現させ条約改正も達成。立憲政友会の協力を得るため「情意投合」を表明、第2次西園寺内閣に政権を移譲。
第2次桂内閣
戊申詔書を発して国民に勤倹を説き、経済再建を実施。大逆事件・工場法交付など社会運動の弾圧を行い、外には第二次日露協約・韓国併合などを実現させ、条約改正も達成した。立憲政友会の協力を得るため、円満な政権授受を約束した「情意投合」を表明、第2次西園寺内閣に政権を譲った。
近代国家の成立
日露戦争と国際関係
韓国併合
日朝関係年表
1894 (明治27年) | 3 | 甲午農民戦争(東学党の乱) | |
8 | 日清戦争勃発 | ||
1895 | 4 | 下関条約(清は朝鮮の独立を許可) | |
10 | 閔妃殺害事件(公使館守備隊による閔妃殺害) | ||
1897 | 10 | 朝鮮、国号を大韓帝国(韓国)と改称 | |
第1次桂内閣 | 1904 | 2 | 日露戦争勃発(〜05) 日韓議定書調印(日本は事実上必要な土地の収用など、便宜供与を約する) |
8 | 第1次日韓協約調印(日本政府推薦の財政・外交顧問の設置) | ||
1905 | 7 | 桂・タフト協定(米が日本の韓国保護国化を承認) | |
8 | 第2次日英同盟協約(英が日本の韓国保護国化を承認) | ||
9 | ポーツマス条約(露が韓国に対する日本の指導・保護・監理を承認) | ||
11 | 第2次日韓協約(日本が外交権を掌握して韓国を保護国化) | ||
12 | 漢城に統監府を設置 | ||
1906 | 2 | 統監府開庁(初代統監:伊藤博文) | |
第1次西園寺内閣 | 8 | 義兵運動が本格化 | |
1907 | 7 | ハーグ密使事件(韓国皇帝高宗の退位、純宗の即位) 第3次日韓協約(内政権を接収し韓国軍隊を解散) |
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8 | 義兵運動が本格化 | ||
第2次桂内閣 | 1908 | 12 | 東洋拓殖会社(東拓)設立 |
1909 | 7 | 韓国併合を閣議決定 | |
10 | 伊藤博文暗殺事件(安重根がハルビン駅頭で殺害) | ||
1910 | 8 | 韓国併合(韓国併合条約調印)。大韓帝国(韓国)を朝鮮と改称 | |
9 | 土地調査事業の開始(〜18) | ||
10 | 朝鮮総督府の設置(初代朝鮮総督:寺内正毅) | ||
1911 | 4 | 土地収用例制定。 | |
8 | 朝鮮教育令(同化教育の推進)公布 | ||
1919 | 3 | 三・一独立運動(パゴダ公園で独立宣言) | |
1923 | 9 | 関東大震災(関東全域で「朝鮮人狩り」) | |
1925 | 4 | 治安維持法を朝鮮・台湾・樺太に公布、5月施行・朝鮮神宮の創建 |
韓国は1907(明治40)年6月、ハーグの万国平和会談に皇帝の密使を送って抗議したが、入れられなかった(ハーグ密使事件)。日本政府はこの事件をきっかけに、同年7月、韓国皇帝を退位させ、第3次日韓協約を結んで、その内政権を奪い、韓国の軍隊を解散させた。韓国内にはこれに反対して反日武装闘争の気運が活発化し、解散された軍隊も加わり義兵運動が高まったが、日本は軍隊を出動させてその鎖圧にあたった。1909(明治42)年10月、伊藤がハルビンで韓国の民族運動家安重根(アンチュングン 1879〜1910)に暗殺されると(伊藤博文暗殺事件)、日本は翌1910(明治43)年8月、ついに韓国併合を強行して韓国を植民地とし、その名称を朝鮮に、漢城を京城と改めて天皇直属の朝鮮総督府をおいてその統治にあたった。
朝鮮総督には武官が任命され、そのもとで総督府は地税の整理と土地調査事業を進め、1918(大正7)年に完了した。その結果、日本人地主の土地所有が拡大した反面、朝鮮の小農民で没落する者が多くなり、その一部の人々は仕事を求めて日本に移住した。
1908(明治41)年に韓国の拓殖事業を推進するための国策会社として東洋拓殖会社が設立され、農業経営や灌漑・金融事業を行った。また、日清戦争後から日本の手によって建設が進められていた京釜鉄道(京城・釜山間)が1905(明治38)年に完成し、産業の発展と軍事輸送に大きな役割を果たした。
桂園時代
日露戦争後、軍部が中心となって大規模な軍備拡張計画が立案された。しかし、1907(明治40)年以後、不況が進み、国家の財政状態が苦しくなって財政整理が必要になると、軍拡計画も思うようには進まなくなった。
こうした状況のなかで、政府は1908(明治41)年に戊申詔書を発して家族主義を強調し、節約と勤勉による国力の増強を説いて、内務省を中心に地方改良運動を進めた。そして、町村の税負担の能力を高め、農村共同体を町村のもとに再編して、国家の基礎を固めることに力を注いだ。そのために、旧村落ごとの青年会を町村ごとの青年会に再編強化し、内務省・文部省の指導下に組織化をはかった。また、1910(明治43)年には帝国在郷軍人会が設立され、町村ごとの在郷軍人会をその下部組織に組み込んだ。同年には産業組合中央会や帝国農会も設立され、政府の指導下に産業組合運動がしだいに本格化していった。