第2次産業革命
1870年代から始まった、電力・石油を新動力とする重化学工業を中心とした産業技術の革新。中心国は、統一されたドイツと、南北戦争後に国民国家の形成を開始したアメリカ。
第2次産業革命
1870年代から始まった、電力・石油を新動力とする重化学工業を中心とした産業技術の革新。中心国は、統一されたドイツと、南北戦争後に国民国家の形成を開始したアメリカであった。
欧米における近代国民国家の発展
19世紀欧米の文化
科学・技術
技術の面でも電気や石油化学の分野における技術革新(第2次産業革命)が進み、人間の生活ばかりでなく意識や世界観までを変革し、交通網や通信網の発達も重なって世界の一体化を進行させた。アメリカのモールス Morse (1791〜1872)は電信機、ベル Bell (1847〜1922)は電話機、エディソン Edison (1847〜1931)は電灯や蓄音機を発明し、イタリアのマルコーニ Marconi (1874〜1937)は無線電信、ドイツのディーゼル Diesel (1858〜1913)はディーゼル機関、スウェーデンのノーベル Nobel (1833〜96)はダイナマイトを発明した。とくにノーベルは莫大な財産を科学などの分野の功労者に与えるよう遺言したことから、ノーベル賞が創設されたことで知られる。
帝国主義とアジアの民族運動
帝国主義と列強の展開
19世紀末になると、資本主義諸国では第2次産業革命と呼ばれる「石油と電力」を基軸とする技術革新が進展して巨大企業が生まれ、資本の独占化が進んだ。帝国主義列強はこの技術革新を背景に巨大な生産力をもち、軍事的優位を確立して、植民地や勢力圏を確保するための海外進出をおこなった。この結果、アジアはタイと日本をのぞき列強の植民地または半植民地にされ、アフリカの分割も進み、さらに太平洋地域の島々さえも分割された。従属させられた地域は、農産物・鉱物資源などの原料供給と製品の販売市場と位置づけられるだけでなく、資本輸出の対象地域とされ、資本主義の世界システムの枠組みに編入された。この時期、貿易・交通・通信手段も高度に発達し、人・物・情報・文化などの往来も盛んになったため、支配と従属の経済的関係も合わせ、「世界の一体化」が進行した。
資本主義の変質
近代科学の成果はさまざまな発明を生み、それらは産業上の新技術として工業生産に応用され、産業界ばかりでなく、社会と文明の根本をも変えていった。最初の産業革命は、石炭と蒸気力を動力源に綿工業などの軽工業と製鉄業の分野でおこった。19世紀半ばにはイギリスが圧倒的な経済力を誇り、西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国は保護貿易政策をとってイギリスの覇権に対抗しつつ工業化を進めていった。やがて、19世紀後半には石油と電力を動力源に使う新しい工業や技術が開発され、重化学工業・電気工業などを中心に工業生産は飛躍的に拡大していった。これは、第2次産業革命と呼ばれる。新技術により、鉄鋼のほかアルミニウム・ニッケルなどの非鉄金属が大量に生産され、染料・肥料・ゴム・繊維などの化学合成物質も生産されるようになった。また、内燃機関・電動機・電灯・電話・ラジオ・自動車なども実用化されて経済活動と日常生活は大きく変貌していった。これらの巨大な新産業分野の発展を先導したのはアメリカ合衆国とドイツであり、世紀末までには工業生産の1位、2位を占めるようになった。ドイツのヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝) は高等教育機関での科学技術の開発を熱心に助成し、ドイツでは工科系の専門大学も教養重視の総合大学と同等の地位をえるようになった。その結果、すぐれた科学者を輩出したドイツは世界の大学の手本となった。
帝国主義
帝国主義の要因に、第1に第2次産業革命により工業生産が高度化したことがあった。新興の工業は、石油・ゴム・錫・銅・亜鉛・ニッケルなど、ヨーロッパに産出しない新しい天然資源を必要とした。そこで、これらの資源を産する地域では現地の安い労働力を用いてプランテーションや鉱山が開発され、本国に工業原料を提供した。また、南洋の珍しい物品もヨーロッパの消費者に届けられた。また、不況で国内需要が低迷するなか、アジア・アフリカは重要な工業製品市場でもあり、過剰資本の投資先であった。イギリスがインドに敷設した鉄道網はこのような投資の先駆的な例であり、世紀転換期には中東・中国での鉄道利権の獲得を巡って激しい競争が展開された。