羅唐同盟 648年に成立した唐(王朝)新羅に対する援助約定と、その後の軍事協力。
唐・新羅の同盟 660年に成立した唐と新羅との軍事協力としての同盟関係。
羅唐同盟
- 642年
- 高句麗と百済の連合軍が新羅を攻撃、新羅の西部と北部の領土を奪う。
- 643年
- 新羅の善徳女王が唐に援軍を求めるが、女王を廃し、唐(王朝)皇帝から新王を立てることを求められる。
- 647年
- 親唐派の毘曇が善徳女王に対して反乱を起こす。
- 648年
- 善徳女王を継いだ真徳女王が、金春秋(後の武烈王)を唐(王朝)太宗に遣わし、援助の取り付けに成功する。
- 649年
- 唐(王朝)衣冠礼服の制度を取り入れる。
- 650年
- 新羅独自の年号を廃し、唐(王朝)年号を用いて、完全な唐(王朝)属国となる。
- 655年
- 高句麗、靺鞨、百済の連合軍が新羅北部の33城を奪ったため、新徳女王を継いだ武烈王は唐(王朝)高宗に救助を求め、唐が高句麗を攻撃する。
- 659年
- 百済が新羅を攻撃したため、唐に救助を求める。
- 660年
- 唐と新羅の同盟が成立し、平壌以南を新羅、以北を唐が領有する。
唐・新羅連合軍は百済、高句麗を侵攻する。
百済を滅ぼすが、唐(王朝)高句麗出兵は失敗に終わる。 - 663年
- 武烈王を継いだ文武王は、唐・新羅連合軍で白村江(はくそんこう)の戦いで百済復興を目指す百済遺民と倭国の連合軍を破る。
- 668年
- 唐・新羅連合軍は高句麗を滅ぼすことに成功する。しかし、唐は新羅を廃して唐(王朝)一部と成し朝鮮半島全体を支配下に置こうとしたため、新羅は反乱を起こす。
白村江の戦い時の倭国の情勢
大化の改新の最中