英仏通商条約(イーデン条約)
(ジェイムズ・ギルレイ James Gillray画/ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

英仏通商条約(イーデン条約)


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英仏通商条約(イーデン条約) A.D.1786〜

1786年、産業革命期のイギリス(トーリ派)とアンシャン・レジーム期のフランスブルボン朝との間に結ばれた自由貿易主義を原則とする通商条約。イーデン条約とも呼ばれる。フランスの重農主義者の経済的自由主義の主張とイギリスの産業資本の海外市場要求の声に動かされ、関税引下げによる貿易自由化を決定したため、フランスには安価なイギリス製品が流入し、工業危機を招いてフランス革命を招く一因となる。

英仏通商条約(イーデン条約)

イギリスとフランスとの間に結ばれた自由貿易主義を原則とする通商条約で、おもなものに 1786、1860年の2つがある。 (1) 1786年の通商条約はイーデン条約とも呼ばれる。フランスの重農主義者の経済的自由主義の主張とイギリスの産業資本の海外市場要求の声に動かされ、関税引下げによる貿易自由化を決定した。このため、フランスには安価なイギリス製品が流入し、工業危機を招いてアンシアン・レジームの崩壊を早めた。 (2) 1860年の通商条約はシュバリエ=コブデン条約とも呼ばれる。ナポレオン3世が条約締結の大権を行使し、議会にはからず独断で結んだ。この関税率の大幅な引下げ、輸入禁止制の撤廃で、奢侈品、工芸品生産部門以外の中小企業、家内工業は衰微し、大企業の工場近代化が進展した。イギリスを中心とするヨーロッパの自由貿易主義体制を象徴する条約。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018

欧米における近代社会の成長

産業革命

産業革命の世界的影響

1825年、イギリスはそれまで禁止していた機械の輸出を解禁した。このため、19世紀前半には産業革命の波は西ヨーロッパ諸国に広がり、やがてアメリカロシア日本にもおよんだ。これらの諸国では、安価なイギリス商品と競争する必要もあり、強力なイギリスの軍事力に対抗する必要もあったから、イギリスの産業革命を模倣して自国にも産業革命をおこそうと、意識的に努力するようになった。明治時代の日本の「富国強兵」策は、その一例である。

こうした国の中では、ベルギーフランスがもっとも早くその目標を達成する。すなわち、両国の産業革命は1830年ころから繊維産業を中心に展開した。フランスは、18世紀にはイギリスにくらべても、それほど経済発展が遅れていたわけではないが、1786年の英仏通商条約(イーデン条約)で両国間の貿易が自由化され、イギリス製品が大量に流れこんだことと、その後のフランス革命による混乱で、なかなか本格的な産業革命に入れなかったのである。

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