足利義栄 あしかがよしひで( A.D.1538〜A.D.1568)
室町幕府第14代征夷大将軍(在位1568年2月〜9月)。12代将軍義晴の弟足利義維の子。三好三人衆に擁されて将軍職に就く。同年織田信長が13代将軍義輝の弟足利義昭を立てて入京したので阿波に逃れ、病没。
足利義栄
反逆者に担がれて将軍職を継いだ阿波公方
足利義栄は12代将軍足利義晴の弟足利義維の子として生まれた。三好長慶と対立し、一時期、周防の大内氏を頼っている。1565年(永禄8)5月、松永久秀と三好三人衆によつて13代将軍義輝が殺されると、義栄は翌年、松永久秀と仲違いした三好三人衆に擁立され摂津に入った。翌年、将軍宣下を願うが許可されず、1568年2月にようやく将軍位を手に入れ14代将軍となった。義栄の従兄弟で13代将軍義輝の弟足利義昭が織田信長に奉じられて上洛するのがこの年の9月である。このときまで義栄は将軍職にありながら、松永久秀が京を押さえていたため上洛できず、摂津にとどまったままだった。足利義昭上洛を知り、足利義栄らも武力上洛を目指すが、背中にできた腫れ物のため呆気なく没してしまった。自分の果たせなかった将軍就任の夢を息子に託した父足利義維は、空しく阿波に引き揚げ、1573年(天正1)に没した。