足利義量 あしかがよしかず( A.D.1407〜A.D.1425)
室町幕府第5代征夷大将軍。第4代将軍足利義持と日野栄子の嫡男。生来から病弱で、17歳で父に先立って急死。義量には嗣子が無く、また義持に他に男子がいなかったため、義持が将軍代行として1428(正長元)年に死去するまで政務を執る。義持は後継者を定めなかったため、くじ引きによって義持の弟の足利義教が6代将軍に選ばれた。
足利義量
武家社会の成長
幕府の衰退と庶民の台頭
幕府の動揺と応仁の乱
足利義満のあとを継いだ将軍足利義持時代の幕府政治は、将軍と有力守護の勢力均衡が保たれ、比較的安定していた。
5代将軍足利義量(1407〜25)が早世したのち、義持は後継者を定めぬまま死去したため、くじ引きによって義持の弟の足利義教(1394~1441)が6代将軍に選ばれた。義教は幕府における将軍権力の強化をねらって、将軍に服従しない者をすべて力でおさえようとしたため、幕府からの自立意識が強かった鎌倉府との関係が悪化し、11438(永享10)年、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実(1410〜66)が対立したのを機に、将軍義教は上杉憲実支援の名目で関東へ討伐軍を送り、翌年、足利持氏を討ち減ぼした(永享の乱)。
参考 詳説日本史研究