軍人皇帝時代
ローマ帝国属州地図 Wikipedia
Previous Post

Next Post

軍人皇帝時代( A.D.235〜A.D.284)

ローマの皇帝位を諸地方の軍隊が左右した一種の内乱、危機の時代。セウェルス朝最後のアレクサンデル・セウェルス帝殺害後、帝位についたトラキア農民出身のマクシミヌス・トラクスから50年間、26人の皇帝がそれぞれ輩下の地方軍団から擁立されて競い合った。そのほとんどは暗殺され、外部からの侵入、内部における異種民族の抗争が続いた。その間ガッリエヌス帝、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス帝らは軍制の強化、皇帝の神聖化によって再建に努め、ディオクレチアヌスの登位によって軍人皇帝時代の混乱は終った。

軍人皇帝時代

ローマの皇帝位を諸地方の軍隊が左右した一種の内乱、危機の時代。セウェルス朝最後のアレクサンデル・セウェルス帝殺害後、帝位についたトラキア農民出身のマクシミヌスから50年間、26人の皇帝がそれぞれ輩下の地方軍団から擁立されて競い合った。そのほとんどは暗殺され、外部からの侵入、内部における異種民族の抗争が続いた。その間ガリエヌス帝、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス帝らは軍制の強化、皇帝の神聖化によって再建に努め、ディオクレチアヌスの登位によって軍人皇帝時代の混乱は終った。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2017

軍人皇帝一覧

軍人皇帝時代

名称生年と誕生地在位期間即位背景没年と死因
マクシミヌス・トラクス 173年(属州トラキア、若しくはモエシア)235年3月20日 – 238年4月頃蛮族出身の軍人。アレクサンデル暗殺後、特異な出自でかつ民衆や元老院の支持もなかったにも関わらず軍事力で帝位を強奪した。これ以降、皇帝の元老院と民衆の軽視が強まり、軍事力による帝位継承が慣例化した(軍人皇帝)。238年4月頃軍による暗殺
ゴルディアヌス1世 159年(属州フリュギア)238年3月22日 – 238年4月12日騎士階級出身。富裕な元老院議員で元老院と民衆によってトラクスの対立皇帝へ推挙され、息子のゴルディアヌス2世を共同皇帝としアフリカ属州で蜂起。息子がトラクス軍との戦いで敗死すると自らも宮殿で自害した。238年4月12日自害
ゴルディアヌス2世 192年238年3月22日 – 238年4月12日ゴルディアヌス1世の息子。老齢の父に代わって前線で軍勢を率いる。カルタゴの戦いでトラクス軍に敗れ、戦死する。238年4月12日トラクス軍との戦いで敗死
マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス 178年238年4月22日 – 238年7月29日反トラクス派の将軍。元老院から新たな対立皇帝として擁立される。トラクス暗殺によって安定化した情勢をバルビヌスとの諍いで再び悪化させた。口論の最中にバルビヌスと同時に暗殺され、川に投げ捨てられた。238年7月29日近衛隊による暗殺
デキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌス 不明238年4月22日 – 238年7月29日元老院議員。プピエヌスの共同皇帝として政務面を補佐するが、不仲で有名であった。ゴルディアヌス2世の遺児を副帝に指名する。238年7月29日近衛隊による暗殺
ゴルディアヌス3世 225年1月20日ローマ(イタリア本土)238年4月22日 – 244年2月11日ゴルディアヌス1世の孫、ゴルディアヌス2世の甥(妹の子)。元老院と民衆からの深い同情から人気を集め、バルビヌスとプピエヌスの副帝とされ両者の暗殺後に単独の皇帝に。244年2月11日ペルシア軍との戦いで敗死(もしくはピリップス・アラブスによる暗殺)
ピリップス・アラブスとマルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス シャハバ(属州シリア)244年2月頃 – 249年後半ゴルディアヌス3世の近衛隊長。ペルシア戦争後に帝位継承を宣言、息子のピリップス2世を後継者として共同皇帝に指名した。249年後半デキウス軍との戦いで敗死
デキウスとヘレンニウス・エトルスクス 201年ブダリア(属州下パンノニア249年後半 – 251年6月頃ピリップス・アラブスの側近。息子エトルスクスと共に帝位を奪うが、アブリットゥスの戦いでゴート軍に敗れて戦死する。251年6月ゴート軍との戦いで敗死
ホスティリアヌス ローマ251年6月 – 251年後半デキウスの次男、エトルスクスの弟。父と兄の死後に帝位を継ぎ、トレボニアヌス・ガッルスの養子となり共治帝となるが同年に疫病で病死。251年後半病死(ガッルスによる暗殺説もあり)
トレボニアヌス・ガッルスとガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス 206年(イタリア本土)251年6月 – 253年8月デキウスの重臣。モエシア総督を務め、デキウス死後の混乱で遠征軍を掌握して帝位につく。ホスティリアヌスの死後息子のウォルシアヌスを共同帝に。アエミリアヌスの裏切りに遭い、自軍の兵士によって暗殺された。253年8月軍による暗殺
マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス 207年(属州アフリカ)253年8月 – 253年10月トレボニアヌスの腹心。後任のモエシア総督に任命されるが、裏切ってトレボニアヌスとウォルシアヌスから帝位を奪う。だがウァレリアヌス軍が帝位を請求して進軍すると、自らも兵士によって暗殺された。253年10月軍による暗殺
ウァレリアヌス 200年253年10月 – 260年デキウスの重臣。ノリクム及びラエティア総督を務め、アエミリアヌスと帝位を争って勝利した。ペルシア戦争に従軍するもエデッサの戦いで大敗し、捕らえられた上で処刑された。260年 以降シャープール1世による処刑される
プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌスとプブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス 不明253年10月 – 268年9月ウァレリアヌスの息子。父から共同皇帝に指名され、ウァレリアヌス処刑後は単独の皇帝として統治する。エデッサの戦いによる帝国の権威失墜の中で、ガリア帝国・パルミラ王国の分離独立というかつてない大乱に直面する。268年9月クラウディウス・ゴティクスによる暗殺
クラウディウス・ゴティクス 213年(214年)5月10日シルミウム(属州パンノニア)268年9月 – 270年1月出自不明。ガッリエヌスを暗殺して帝位を奪う。大乱の中で侵入が本格化した蛮族に対し、ゴート族とのナイススの戦いに大勝してこれを押し留めた。270年1月自然死
クィンティッルス 不明シルミウム(属州パンノニア)270年クラウディウス・ゴティクスの弟。兄の死後に帝位を継承するが、アウレリアヌスに暗殺される。270年アウレリアヌスによる暗殺
ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス 214年(215年)9月9日シルミウム(属州パンノニア)270年 – 275年9月クラウディウス・ゴティクスの重臣。複数の戦いで蛮族に勝利して対外情勢を安定化させた。更にガリア帝国・パルミラ王国を滅ぼして帝国領を回復、元老院から「世界の修復者」の尊称を受ける。シャープール1世死後のペルシャに侵攻する途中、秘書官に暗殺される。275年9月秘書官による暗殺
マルクス・クラウディウス・タキトゥス 200年テルニ275年9月25日 – 276年6月元老議員。アウレリアヌスの急死によって皇帝に選出される。即位時点で老齢であり、ペルシア戦争の再開を準備する中で病没した。276年6月自然死
フロリアヌス 不明276年6月 – 276年9月タキトゥスの異父弟。兄の死に伴い帝位継承を主張して西方属州の支持を得る。しかし東方属州の支持を得たプロブスに苦戦を強いられ、見限った軍に暗殺された。276年9月軍による暗殺
プロブス 232年シルミウム(属州パンノニア)276年9月 – 282年後半帝国軍の高官。東方属州の支持を背景にフロリアヌスを破り、皇帝に即位する。対外戦争で功績を挙げるが、ペルシャ戦争の途中でカルスの反乱により暗殺される。282年後半近衛兵による暗殺
マルクス・アウレリウス・カルス 230年ナルボ282年後半 – 283年8月プロブスの近衛隊長。戦争中にプロブスを暗殺、指揮権を奪ってペルシャ戦争を継続した。戦いは優勢に進んだが、落雷による事故で急死した。283年8月事故死
カリヌス 不明283年8月 – 285年カルスの長男。父の反乱によって弟ヌメリアヌスと副帝となり、父が遠征先で戦死すると遠征に同行していた弟と共に皇帝となった。しかし弟を暗殺され、更にその腹心であったディオクレティアヌスが遠征軍を掌握するとこれに敗れ、戦死する。285年ディオクレティアヌス軍との戦いで敗死
ヌメリアヌス 不明283年8月 – 284年カルスの次男。本国を守る兄に対して、父と共にペルシャ遠征に従軍した。父が事故死すると帝位を継いだ兄の共同皇帝となり、遠征軍の撤退を指揮する。撤退中、配下の裏切りで暗殺される。284年軍による暗殺

参考 Wikipedia

広告
Previous Post

Next Post