軍人皇帝時代( A.D.235〜A.D.284)
ローマの皇帝位を諸地方の軍隊が左右した一種の内乱、危機の時代。セウェルス朝最後のアレクサンデル・セウェルス帝殺害後、帝位についたトラキア農民出身のマクシミヌス・トラクスから50年間、26人の皇帝がそれぞれ輩下の地方軍団から擁立されて競い合った。そのほとんどは暗殺され、外部からの侵入、内部における異種民族の抗争が続いた。その間ガッリエヌス帝、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス帝らは軍制の強化、皇帝の神聖化によって再建に努め、ディオクレチアヌスの登位によって軍人皇帝時代の混乱は終った。
軍人皇帝時代
ローマの皇帝位を諸地方の軍隊が左右した一種の内乱、危機の時代。セウェルス朝最後のアレクサンデル・セウェルス帝殺害後、帝位についたトラキア農民出身のマクシミヌスから50年間、26人の皇帝がそれぞれ輩下の地方軍団から擁立されて競い合った。そのほとんどは暗殺され、外部からの侵入、内部における異種民族の抗争が続いた。その間ガリエヌス帝、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス帝らは軍制の強化、皇帝の神聖化によって再建に努め、ディオクレチアヌスの登位によって軍人皇帝時代の混乱は終った。
参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2017
軍人皇帝一覧
軍人皇帝時代
名称 | 生年と誕生地 | 在位期間 | 即位背景 | 没年と死因 |
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マクシミヌス・トラクス | 173年(属州トラキア、若しくはモエシア) | 235年3月20日 – 238年4月頃 | 蛮族出身の軍人。アレクサンデル暗殺後、特異な出自でかつ民衆や元老院の支持もなかったにも関わらず軍事力で帝位を強奪した。これ以降、皇帝の元老院と民衆の軽視が強まり、軍事力による帝位継承が慣例化した(軍人皇帝)。 | 238年4月頃軍による暗殺 |
ゴルディアヌス1世 | 159年(属州フリュギア) | 238年3月22日 – 238年4月12日 | 騎士階級出身。富裕な元老院議員で元老院と民衆によってトラクスの対立皇帝へ推挙され、息子のゴルディアヌス2世を共同皇帝としアフリカ属州で蜂起。息子がトラクス軍との戦いで敗死すると自らも宮殿で自害した。 | 238年4月12日自害 |
ゴルディアヌス2世 | 192年 | 238年3月22日 – 238年4月12日 | ゴルディアヌス1世の息子。老齢の父に代わって前線で軍勢を率いる。カルタゴの戦いでトラクス軍に敗れ、戦死する。 | 238年4月12日トラクス軍との戦いで敗死 |
マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス | 178年 | 238年4月22日 – 238年7月29日 | 反トラクス派の将軍。元老院から新たな対立皇帝として擁立される。トラクス暗殺によって安定化した情勢をバルビヌスとの諍いで再び悪化させた。口論の最中にバルビヌスと同時に暗殺され、川に投げ捨てられた。 | 238年7月29日近衛隊による暗殺 |
デキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌス | 不明 | 238年4月22日 – 238年7月29日 | 元老院議員。プピエヌスの共同皇帝として政務面を補佐するが、不仲で有名であった。ゴルディアヌス2世の遺児を副帝に指名する。 | 238年7月29日近衛隊による暗殺 |
ゴルディアヌス3世 | 225年1月20日ローマ(イタリア本土) | 238年4月22日 – 244年2月11日 | ゴルディアヌス1世の孫、ゴルディアヌス2世の甥(妹の子)。元老院と民衆からの深い同情から人気を集め、バルビヌスとプピエヌスの副帝とされ両者の暗殺後に単独の皇帝に。 | 244年2月11日ペルシア軍との戦いで敗死(もしくはピリップス・アラブスによる暗殺) |
ピリップス・アラブスとマルクス・ユリウス・セウェルス・ピリップス | シャハバ(属州シリア) | 244年2月頃 – 249年後半 | ゴルディアヌス3世の近衛隊長。ペルシア戦争後に帝位継承を宣言、息子のピリップス2世を後継者として共同皇帝に指名した。 | 249年後半デキウス軍との戦いで敗死 |
デキウスとヘレンニウス・エトルスクス | 201年ブダリア(属州下パンノニア | 249年後半 – 251年6月頃 | ピリップス・アラブスの側近。息子エトルスクスと共に帝位を奪うが、アブリットゥスの戦いでゴート軍に敗れて戦死する。 | 251年6月ゴート軍との戦いで敗死 |
ホスティリアヌス | ローマ | 251年6月 – 251年後半 | デキウスの次男、エトルスクスの弟。父と兄の死後に帝位を継ぎ、トレボニアヌス・ガッルスの養子となり共治帝となるが同年に疫病で病死。 | 251年後半病死(ガッルスによる暗殺説もあり) |
トレボニアヌス・ガッルスとガイウス・ウィビウス・ウォルシアヌス | 206年(イタリア本土) | 251年6月 – 253年8月 | デキウスの重臣。モエシア総督を務め、デキウス死後の混乱で遠征軍を掌握して帝位につく。ホスティリアヌスの死後息子のウォルシアヌスを共同帝に。アエミリアヌスの裏切りに遭い、自軍の兵士によって暗殺された。 | 253年8月軍による暗殺 |
マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス | 207年(属州アフリカ) | 253年8月 – 253年10月 | トレボニアヌスの腹心。後任のモエシア総督に任命されるが、裏切ってトレボニアヌスとウォルシアヌスから帝位を奪う。だがウァレリアヌス軍が帝位を請求して進軍すると、自らも兵士によって暗殺された。 | 253年10月軍による暗殺 |
ウァレリアヌス | 200年 | 253年10月 – 260年 | デキウスの重臣。ノリクム及びラエティア総督を務め、アエミリアヌスと帝位を争って勝利した。ペルシア戦争に従軍するもエデッサの戦いで大敗し、捕らえられた上で処刑された。 | 260年 以降シャープール1世による処刑される |
プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌスとプブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス | 不明 | 253年10月 – 268年9月 | ウァレリアヌスの息子。父から共同皇帝に指名され、ウァレリアヌス処刑後は単独の皇帝として統治する。エデッサの戦いによる帝国の権威失墜の中で、ガリア帝国・パルミラ王国の分離独立というかつてない大乱に直面する。 | 268年9月クラウディウス・ゴティクスによる暗殺 |
クラウディウス・ゴティクス | 213年(214年)5月10日シルミウム(属州パンノニア) | 268年9月 – 270年1月 | 出自不明。ガッリエヌスを暗殺して帝位を奪う。大乱の中で侵入が本格化した蛮族に対し、ゴート族とのナイススの戦いに大勝してこれを押し留めた。 | 270年1月自然死 |
クィンティッルス | 不明シルミウム(属州パンノニア) | 270年 | クラウディウス・ゴティクスの弟。兄の死後に帝位を継承するが、アウレリアヌスに暗殺される。 | 270年アウレリアヌスによる暗殺 |
ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス | 214年(215年)9月9日シルミウム(属州パンノニア) | 270年 – 275年9月 | クラウディウス・ゴティクスの重臣。複数の戦いで蛮族に勝利して対外情勢を安定化させた。更にガリア帝国・パルミラ王国を滅ぼして帝国領を回復、元老院から「世界の修復者」の尊称を受ける。シャープール1世死後のペルシャに侵攻する途中、秘書官に暗殺される。 | 275年9月秘書官による暗殺 |
マルクス・クラウディウス・タキトゥス | 200年テルニ | 275年9月25日 – 276年6月 | 元老議員。アウレリアヌスの急死によって皇帝に選出される。即位時点で老齢であり、ペルシア戦争の再開を準備する中で病没した。 | 276年6月自然死 |
フロリアヌス | 不明 | 276年6月 – 276年9月 | タキトゥスの異父弟。兄の死に伴い帝位継承を主張して西方属州の支持を得る。しかし東方属州の支持を得たプロブスに苦戦を強いられ、見限った軍に暗殺された。 | 276年9月軍による暗殺 |
プロブス | 232年シルミウム(属州パンノニア) | 276年9月 – 282年後半 | 帝国軍の高官。東方属州の支持を背景にフロリアヌスを破り、皇帝に即位する。対外戦争で功績を挙げるが、ペルシャ戦争の途中でカルスの反乱により暗殺される。 | 282年後半近衛兵による暗殺 |
マルクス・アウレリウス・カルス | 230年ナルボ | 282年後半 – 283年8月 | プロブスの近衛隊長。戦争中にプロブスを暗殺、指揮権を奪ってペルシャ戦争を継続した。戦いは優勢に進んだが、落雷による事故で急死した。 | 283年8月事故死 |
カリヌス | 不明 | 283年8月 – 285年 | カルスの長男。父の反乱によって弟ヌメリアヌスと副帝となり、父が遠征先で戦死すると遠征に同行していた弟と共に皇帝となった。しかし弟を暗殺され、更にその腹心であったディオクレティアヌスが遠征軍を掌握するとこれに敗れ、戦死する。 | 285年ディオクレティアヌス軍との戦いで敗死 |
ヌメリアヌス | 不明 | 283年8月 – 284年 | カルスの次男。本国を守る兄に対して、父と共にペルシャ遠征に従軍した。父が事故死すると帝位を継いだ兄の共同皇帝となり、遠征軍の撤退を指揮する。撤退中、配下の裏切りで暗殺される。 | 284年軍による暗殺 |
参考 Wikipedia