間宮林蔵 (
A.D.1775〜A.D.1844)
北方探検家。1808年、幕命によって樺太(北蝦夷地)を探査し、島であることを確認(間宮海峡の発見)。さらにシベリアの黒龍江下流地方も探査した。晩年は幕府隠密をつとめたという。
間宮林蔵
北方探検家。1808年、幕命によって樺太(北蝦夷地)を探査し、島であることを確認(間宮海峡の発見)。さらにシベリアの黒龍江下流地方も探査した。晩年は幕府隠密をつとめたという。
間宮海峡にその名を残す
北方探検家。幕府隠密。常陸国に生まれる。測量の才を認められ幕府に出仕。松田伝十郎と共に樺太に渡り、樺太が島であることを確認。翌年、単身でシベリアに渡り黒龍江下流域を調査。シーボルト事件で高橋景保を密告、人望を失い、その後は幕府隠密となった。
幕藩体制の動揺
幕府の衰退
列強の接近
1807(文化4)年、幕府は松前・蝦夷地をすべて直轄にして松前奉行をおき、南部・津軽両藩を中心に東北諸藩に警備させた。樺太も直轄にしたがその周回すら不詳のため、1808(文化5)年から翌年にかけて幕府は間宮林蔵(1755-1844)らに探査を命じ、間宮は樺太が島であることを確認するとともに、対岸の沿海州に渡り、清(王朝)の役所があるデレンまで足を踏み入れた。
東韃地方紀行図出典:国立公文書館