鹿苑寺 ろくおんじ
相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれる。鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされる。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたといわれ、有名な一休禅師の父後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化という。義満の死後、遺言により夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられた。世界遺産「古都京都の文化財」。
鹿苑寺
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
武家社会の成長
室町文化
北山文化
室町時代の文化は、まず武家政権を確立した3代将軍義満の時代に開花した。将軍にして初めて太政大臣にのぼり、名実ともに公家・武家の頂点に立った義満の時代にふさわしく、その文化は武家文化と公家文化の融合という点に大きな特色をもっている。義満は京都の北山に壮麗な山荘:(北山殿)をつくったが、そこに建てられた金閣(鹿苑寺金閣)の建築様式が、伝統的な寝殿造や禅宗寺院の禅宗様など、さまざまな文化を折衷したものであり、この文化の特徴をよく表しているので、この時代の文化を北山文化と呼んでいる。
金閣
金閤は北山殿の仏殿として建てられた3層の楼閣建築で当初は舎利殿と呼ばれていた。1層を寝殿造風に、2層を和様に、3層を禅宗様につくり、西側には寝殿造に特徴的な釣殿風の建物を付属させている。北山殿は、義満の死後、鹿苑寺という禅宗寺院にかわったため、金閣も鹿苑寺金閣と呼ばれるようになった。