麗済同盟 新羅
三国時代後半の576年頃の半島 ©Historiographer/Wikipedia

麗済同盟


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麗済同盟 (れいさいどうめい)

642年頃に高句麗百済新羅を攻撃するために結んだ軍事同盟で、百済が滅亡した660年まで続いた。

麗済同盟

6世紀半ばまで
新羅と百済は高句麗に対抗するため羅済同盟を結んでいた。
553年
新羅が百済から漢江流域を奪う。
554年
百済の聖王が新羅との戦いで戦死。それ以後、百済と新羅は敵対関係が続く。
642年
百済の義慈王は、高句麗の淵蓋蘇文と同盟を結び、新羅の善徳女王から新羅西部の40城余りと大耶城を奪い、新羅北部の党項城を攻撃する。
654年
高句麗が百済、靺鞨と共に新羅の北方30余城を攻略する。
648年
新羅は麗済同盟に対抗するために唐と「唐・新羅の同盟」を結ぶ。
660年
唐・新羅連合軍が百済を滅ぼす。
668年
唐・新羅連合軍が高句麗を滅ぼす。
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