エラム
紀元前3000年紀半ばから紀元前7世紀前半、イラン高原南西部を支配した民族・王国。スーサを都とする。エラム 人の民族系統は不明。
本拠地(現:フージスターン)はメソポタミア平原の延長とみなされ、シュメール諸都市をはじめとするメソポタミア側の史料にもしばしば言及される。最盛期は紀元前12世紀前半、シュトルク・ナフンテ王の治世、バビロニアを制した。
エラム
紀元前539年にスーサはキュロス大王率いるアケメネス朝ペルシアの支配下に置かれ、エラム王国は滅亡した。しかし、イラン高原において最も高い文化を誇った集団の一つであったエラムの諸制度は、その後もアケメネス朝時代においても受け継がれた。