コロナトゥス
ローマ帝国軍人皇帝時代のころから普及した、従来の奴隷労働による大土地所有(ラティフンディウム)にかわり、有力者が土地を、没落した中小農民や解放奴隷などを小作人(コロヌス)として使う小作制の農業形態。中世の農奴制の先駆である。
コロナトゥス
オリエントと地中海世界
ローマ世界
古代の終末
農業にも大きな変化が生じていた。奴隷制による経営が非効率であることが認識され、また征服戦争の停止は捕虜奴隷の供給を断つことになって、ラティフンディアや鉱山、手工業生産での奴隷の大量使役は困難になった。奴隷所有者たちは奴隷の地位を向上させたり、労働力を自由人によって補うようになった。
すでに共和政期からコロヌスと呼ばれる小作人が大土地所有者と契約して働いていたが、帝政が進むにつれて農業におけるコロヌスの要素が大きくなり、没落した農民や奴隷から上昇してきた人々がコロヌスとなっていった。彼らは土地とともに売買されたり相続されたりするようになり、土地に縛りつけられた隷属的農民の性格を強めていった。このコロヌス制(コロナートゥス)は中世の農奴制の先駆であり、先に述べた都市の衰退、田園大所領の独立と合わせて、古代末期社会には封建社会の要素が見出されるようになってくるのである。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
古ゲルマン社会コロナ
2世紀後半のマルクス=アウレリウス=アントニヌス(ローマ皇帝)は、マルコマニー族をはじめとするゲルマン人の侵入に対抗するため、別のゲルマン諸部族の応援を求め、その代償としてドナウ流域の帝国領内への安住を許可することになった。こうして大移動の前からゲルマン人とローマ人との接触はさかんにおこなわれた。平和的に移住したゲルマン人の多くは、ローマ軍傭兵・家内奴隷・コロヌス(農奴的小作人)・手工業者・下級官吏などとしてローマ社会に同化していった。とくに傭兵になるものは多く、帝政末期にはローマ軍のほとんどがゲルマン人傭兵で占められるほどになり、帝国のゲルマン化を進めることにもなった。
東ヨーロッパ世界の成立
初期ビザンツ帝国
だが、その頃アラビア半島でイスラーム勢力が急速に台頭し、シリア・メソポタミア・エジプト・アルメニアを相次いで奪われた。こうした中で、防衛力の強化を目指して確立されたのが軍管区制と屯田兵制である。
まず、小アジア地方を手始めに、帝国の行政制度を地域的に広大な幾つかの軍管区(テマ)に再編成し、それぞれに軍事・行政の両権を持つ司令官(ストラテゴス)を配置した。同時に、コロヌスを解放したりスラヴ人を移植したりして土地を与え、その代償に兵役義務を課す屯田兵を多数創出し、各軍管区の司令官に所属させた。この両制度により、大土地所有は抑制され、徴兵と徴税の制度が整い、国家体制が安定することになった。