ダヴィド David A.D.1748〜A.D.1825
フランス古典主義絵画の代表者。フランス革命の初期にはジャコバン派としてバスティーユ襲撃に参加。「球戯場の誓い」「マラーの死」など革命画を描く。のちナポレオン1世に傾倒してその首席画家となり、「ナポレオンの戴冠式」を制作。
ジャック=ルイ・ダヴィッド
フランス古典主義絵画の代表者。フランス革命の初期にはジャコバン派として活躍。のちナポレオン1世に傾倒してその首席画家となった。代表作は「ナポレオンの戴冠式」など。
ナポレオンと運命を共にした
フランス新古典主義の画家。ローマ留学で古典絵画を学ぶ。ジャコバン党員でバスティーユ襲撃に参加。「球戯場の誓い」「マラーの死」など革命画を描く。その後ナポレオン1世の宮廷首席画家となり「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」を制作。亡命先のブリュッセルで死去した。
欧米における近代国民国家の発展
19世紀欧米の文化
美術と音楽
古典主義
絵画の分野では18世紀末から19世紀初めにかけてギリシア・ローマを模範とし、格調が高く均整のとれた様式である古典主義 Classicism が主流となった。フランス革命の際にはジャコバン派の一員として「マラーの死」を描き、理性崇拝の宗教の演出を担当し、ナポレオン時代には宮廷画家として「戴冠式」や「アルプス越え」を描いたダヴィド David (1748〜1825 ジャック=ルイ・ダヴィッド)や、その弟子で古典主義絵画の完成者とされるアングル Ingres (1780〜1867, 「泉」 ドミニク=アングル)などがその代表である。
- 1774年 《アンティオコスとストラトニケ》で、当時の若手画家の登竜門であったローマ賞を得た。
- 1775年 イタリアへ留学した。
- 1789年 フランス革命 – ジャコバン党員として政治にも関与していた。《球戯場の誓い》を描いている他バスティーユ牢獄襲撃事件にも加わっており
- 1792年には国民議会議員にもなっている。
- 1793年 革命家マラーの死を描いた《マラーの死》を制作している。
- 1794年 ロベスピエールに協力し、最高存在の祭典の演出を担当、一時期国民公会議長もつとめている。ロベスピエールの失脚に伴い、ダヴィッドの立場も危うくなり、一時投獄された。
- 1800年 ナポレオンがレカミエ夫人を愛人にするための贈り物として肖像画を依頼され、《レカミエ夫人像》を制作した。しかし、レカミエ夫人本人は気に入らず未完成に終わった。
歴史画の傑作とされる「マラーの死」。ジャコバン派の革命家マラーが、ジロンド派の女性により暗殺された場面が描かれている。
ギャラリー
ダヴィドはバスティーユ牢獄襲撃に参加し、またルイ16世(フランス王)の処刑に賛同するなど革命派として知られており、ジャコバン派の一員でもあった。その後、ロベスピエール失脚により投獄されるも、ナポレオンと親しくなり、その即位後は主席宮廷画家となった。ナポレオンにとっても、プロパガンディスト(宣伝者)としてのダヴィドを必要としていた。
1804年12月にパリのノートルダム大聖堂で挙行された戴冠式の様子を実寸大に描いたもの。実際には臨席していないナポレオンの母が描かれ、また皇后ジョセフィーヌが若々しく描かれていること、さらに憮然としていたはずの教皇ピウス7世が祝福を与える姿に描かれるなどの脚色がほどこされている。当初はナポレオンみずからが冠を被る姿を予定していたが、皇后への戴冠に差し替えられた。