セレウコス朝シリア Seleukos B.C.312〜B.C.64
アレクサンドロス大王の後継者セレウコスが建てた王朝。首都は、建国当初のセレウキアをのぞき、アンティオキアに置かれた。アケメネス朝の旧領にほぼ匹敵する領土を有した。前3世紀にバクトリアとパルティアが独立し、さらに、前2世紀にはローマとも角逐があり、前1世紀にポンペイウスに敗北し、ローマの属州となった。
セレウコス朝シリア
アレクサンドロスの後継者セレウコスが建てた王朝。首都は、建国当初のセレウキアをのぞき、アンティオキアに置かれた。アケメネス朝の旧領にほぼ匹敵する領土を有した。前3世紀にバクトリアとパルティアが独立し、さらに、前2世紀にはローマとも角逐があり、前1世紀にポンペイウスに敗北し、ローマの属州となった。
オリエントと地中海世界
ギリシア世界
ヘレニズム時代
セレウコス朝シリアは、小アジアの過半とそれより東の広大な地域を支配したが、バクトリア・ソグディアナはまもなく独立し、ペルシア系のパルティアが紀元前3世紀半ばにやはり独立するなど、その領域は縮小し(ユダヤはセレウコス朝の君主神格化に反抗し、マカベア一族の反乱によって紀元前2世紀に独立した。)、国家の制度も整わなかった。しかしアンティオキアやドゥラ・エウロポスなどのギリシア人の都市が文化の中心となった。
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戦争
セレウコス・マウリヤ戦争
紀元前305年頃、セレウコス1世がインダス川を越えて北西インドに侵入したが、古代インド・マウリヤ朝初代王・チャンドラグプタは60万とも言われた軍事力を背景にセレウコスを圧倒し、優位な協定を結ぶことになった。
チャンドラグプタはセレウコス1世との協定において、インダス川の向こう側にあるアリア、アラコシア、ゲドロシア、パロパミソスの4州を新たに獲得し、セレウコス1世の娘を息子ビンドゥサーラの妃に迎えた。引き換えとしてセレウコス1世に戦象500頭を与え、西方でディアドコイ戦争を戦っていた彼の戦力充実を援助した。
シリア戦争(プトレマイオス朝)
シリア戦争は、紀元前3世紀から紀元前2世紀頃に、コイレ・シリアを巡ってセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの間で争われた一連の戦争のことである。6回に渡って繰り広げられた。この戦争によって両国の資源と兵力は消耗し、ローマとパルティアによって征服される一因となった。
マカバイ戦争
紀元前167年に勃発したセレウコス朝に対するユダヤ人の反乱とそれに続く戦争。主要な指導者ユダ・マカバイにちなんでマカバイ戦争とよばれる。
この戦争の結果、ユダヤ人の独立勢力ハスモン朝の成立を見ることになる。マカバイ戦争をユダヤ側からの視点で描いたものが旧約聖書外典の「マカバイ記」である。