テオドリック(東ゴート王)
A.D.454〜A.D.526
東ゴート王国の創始者。ゲルマン民族の英雄。人質として送られた東ローマ帝国で成人し、帰国後、王となる(在位493年 - 526年)。
テオドリック(東ゴート王)
ゲルマン民族の英雄
東ゴート王国の王。人質として送られた東ローマ帝国のコンスタンティノポリスの宮廷で成人し、帰国後、王となる。
東ローマ帝国の依頼でオドアケルを破って暗殺。「イタリア半島の東ゴート王国」を皇帝代理として統治し、ゲルマン民族の指導的立場に立った。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ゲルマン諸国家
東ゴート人はフン帝国の配下でパンノニアに移住したが、5世紀半ばのフンの瓦解とともに独立した。その後テオドリック(東ゴート王)の指導によりイタリアに侵入し、オドアケルを倒してラヴェンナを首都とする東ゴート王国を建設した。テオドリック時代の東ゴートは、ローマの制度や文化を尊重し、ゲルマン諸国家中最大の繁栄を誇ったが、王の死後東ローマ帝国ユスティニアヌス朝第2代皇帝ユスティニアヌス1世により滅ぼされた。
テオドリック
少年時代、10年間ビザンツ帝国の人質としてコンスタンティノープルの宮廷に仕えた。その後、父王のあとを継いで即位、ビザンツ皇帝の命でイタリアに遠征しオドアケルを打倒した。彼はボエティウスらのローマ人役人を重用してイタリア支配をおこなうとともに、みずからフランク国王クローヴィスの妹と結婚するなど、他のゲルマン諸国家との同盟体制確立に努めた。だが、それはやがてビザンツ皇帝の警戒心を強めることにもなった。
略歴
- 476年
- 西ローマ帝国の傭兵隊長・オドアケルが西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位し、イタリア王となる
- 470年、ティウディミルが王位に就くと帰郷したが、マケドニアのテッサロニキを占領した後、父王が死んだので、王位を継承した。
- 483年 テオドリックは、東ローマ帝国皇帝・ゼノンにの軍事長官に任命される
- 東ゴート族の主導権を巡って、ローマ軍の長官テオドリック・ストラボと争い、皇帝ゼノンとの政治的駆け引きを繰り返したが、テオドリック・ストラボが急死したため、東ローマ帝国に圧力をかけ、483年には東ローマ帝国の軍事長官に任命された。
- 488年 テオドリックは、東ローマ帝国皇帝・ゼノンからオドアケル討伐を命じられ、イタリアに侵攻、オドアケルを暗殺する。
- 東ローマ帝国皇帝・ゼノンから、東ローマに内政干渉を行なっていた西ローマ帝国のパトリキウスに任命された親衛隊長オドアケルの討伐を命じられ、488年、イゾンツォの戦いでヴェローナ、ミラノを占領、西ゴートの援軍を得てラヴェンナを包囲した。493年、彼は、和平交渉によりラヴェンナ入城を果たし、降伏したオドアケルを和平の酒宴の席で暗殺した後イタリア王を名乗った。
- 497年 東ゴート王国を建国。
- 497年 ゼノンとの同盟により、イタリア(首都:ラヴェンナ)に東ゴート王国を建国した。