テノチティトラン
アステカ人が築いたアステカ王国のテスココ湖の浮洲の上の首都。最盛期には人口は約30万人で、巨大な宮殿、大ピラミッド、神殿をもつ壮麗な都市であった。スペインのコンキスタドール、エルナン・コルテスに占領・破壊され、1521年アステカ王国は滅亡、メキシコ中央高原に栄えた文明も滅びた。
破壊したテノチティトランの上にはメキシコ・シティが築かれた。
テノチティトラン
アステカ王国
アステカ人が新しい都を築くべき地は、蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている地であるという、ウィツィロポチトリの神託があった。テスココ湖の沼沢地に覆われた未開の島がその場所であるという啓示を得たとき、アステカ人は建設の困難にひるまず、沼沢地を干拓することをはじめた。干拓によって十分に乾いた土地が得られたのち、1325年テノチティトランが建設された。アステカ王国の発展にともなってテノチティトランも巨大になり、最盛期には人口は20万人から30万人を数えた。都市から対岸には何本かの土手道が築かれ、中央部にはピラミッドの築かれた壮麗な都市となった。
テノチティトランは湖の湖岸といくつかの橋で結ばれていた。都市には多くの水路が築かれ、橋が渡されて、都市のすべての場所は、徒歩でもカヌーでも訪れることができた。
テスココ湖は塩分を含んでいたが、南東部のコヨアカンには湧水があったため南東部は汽水域となっていた。そこで南北の土手道で湖水を遮断することで東部を淡水域化し、テノチティトラン周辺の農業用水とした。また、飲料水は西部のチャプルテペクの丘より石造りの水道橋で供給された。15世紀以降、テスココ湖やその周辺では沼地の表面の厚い水草層を切り取り、敷物のように積み重ねてつくった浮島の上に湖底の泥を盛り上げて作ったチナンパと呼ばれる農地が多く作られた。この農法は肥沃な泥と豊富な水が得られることから非常に収量が高く、アステカの国力を支える重要な要素となった。
参考 Wikipedia
蛇を咥えた鷲がサボテンにとまっている地は、メキシコの国章のデザインになっている。
滅亡
16世紀、メキシコ中央高原のアステカ王国は繁栄の絶頂期にあった。テスココ湖の浮洲の上に首都テノチティトランを建設し、すぐれた軍事組織をつうじて、メキシコの広い領域を支配していた。テノチティトランは人口20万から30万、巨大な宮殿、大ピラミッド、神殿をもつ壮麗な都市であった。
しかし、スペインのコンキスタドールのエルナン・コルテスに占領され、1521年アステカ王国は滅亡し、メキシコ中央高原に栄えた文明も滅びた。
アステカ王国の都テノチティトランがあった場所に建設されたメキシコ・シティは「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」として世界遺産に登録されている。
テノチティトランが登場する作品
ウォリアーズ 歴史を動かした男たち コルテス-アステカの最後-
スペインのコンキスタドールのエルナン・コルテスに占領され、アステカ王国が滅亡する様子を描いた歴史ドラマ。
コルテス-アステカの最後- ウォリアーズ 歴史を動かした男たち – 世界の歴史まっぷ
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