ピュー古代都市群
ミャンマー中部のピュー古代都市群は、紀元前200年頃から後9世紀にかけて栄えたピュー王国の遺跡であり、約2000年前に東南アジアに仏教が伝来したことを示す最古の証拠でもある。
仏教伝来により、この地域には経済的、社会的、政治的、文化的変容がもたらされ、9世紀までの最長の歴史を持つことになる最初で最大の都市社会をもたらした。登録されたのは、ハリン、ベイタノー、シュリー・クシェトラの3つの都市遺跡で、いずれも煉瓦造りの城壁で囲まれた城塞都市。宮殿や埋葬地跡、仏塔などが残る。
ピュー古代都市群
城郭都市
ピューの城郭都市は方形・円形・楕円形の城壁を持ち、城壁の直径は2-3kmほどである。最大の規模を有するタイェーキッタヤーは東西4km・南北5kmの城壁に囲まれている。主な建材はレンガであり、石やラテライトはほとんど使用されていない。レンガの表面には指先や棒で平行する2-3本の直線や曲線、あるいは対角線を描いた指描痕が見られるが、パガン時代以降の遺跡に指描痕が付けられたレンガはほとんど見られない。タイェーキッタヤーではベーベー寺院、パヤータウン寺院など5つの寺院が発見されているが、大半が風化している。城郭都市内の人家は木造の瓦葺きの家屋で、瓦の素材には鉛錫が使用されていた。
4世紀以降、ピュー族は仏塔(ストゥーパ)などの仏教建築を多く建立した。都市の中心部には城砦の跡と思われる建築物が位置するほか、城壁の内外に仏塔、僧院の跡が残る。タイェーキッタヤーの城壁外の南西に建つボーボージー(バウバウジー)仏塔は高さ47m・円周80mで、後世に建てられる仏塔と異なり、細やかな装飾は施されていない。ボーボージー仏塔の基部の南東には内部に通じる通路が存在し、裏面に文字が刻まれた多量の磚仏が発見された。建築様式、土台、建材として使われるレンガの大きさ、建築技術にはインド南東部のアーンドラ地方との共通点がある。「ムーンストーンズ」と呼ばれるセイロン島のアヌラーダプラの建築様式がベイッタノーとハリンの建築にも見られ、バウバウジー仏塔はセイロン島のパヤージー・パゴダ、パヤーマー・パゴダと同じ特徴を備えており、ピューとセイロン島の間に交流があったと考えられている。
ピュー族が建立した仏塔は、11世紀以降に建立されるパガン王朝のパゴダの原型になったと考えられている。13世紀にパガンで建立されたソーミンジー寺院の構図の大部分は、4世紀にベイッタノーで建立された僧院と共通している。タイェーキッタヤーの仏塔はパガンのシュエズィーゴン・パゴダ、シュエサンドー・パゴダ、ミンガラゼーディ・パゴダの原型となり、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダにも受け継がれている。
城郭都市の遺跡からは火葬した人骨を納めた骨壷、旭日銀貨、碑文が出土している。黒地の玉に白地の鋸歯紋や網目紋を書いた飾り玉も出土しており、ビルマ北西部に居住するチン族が同種のビーズを使用しているため、それらの飾り玉はチン・ビーズと呼ばれている。菩薩像やヒンドゥー神の像も出土しており、上座部仏教、大乗仏教、ヒンドゥー教がピューの間で信仰されていたと考えられている。タイェーキッタヤーからは弥勒菩薩と観音菩薩を脇侍とする釈迦牟尼像、ガルダに乗ったヴィシュヌ、梵天、シヴァとラクシュミーの。タイェーキッタヤーから出土したブロンズ像は丸みのある顔、高い鼻、つりあがった長い眉、短躯ながらも量感のある全身に特徴がある。また、仏像や神像以外に楽人や舞踏家の像も出土している。サガイン西50kmのミンムー付近、ピョーボェー東8kmのベインナカ一帯、エーヤワディー西岸のミンブーからザグーにかけての地域で、ピューの城郭都市の出土品と同様のものが集中的に発見されている。