フレンチ=インディアン戦争(
A.D.1754〜A.D.1763)
アメリカ大陸でフランス人と先住民族インディアンの同盟軍と、イギリス軍とアメリカ植民地軍の連合軍とが戦った戦争。イギリスとフランスの植民地戦争の最後の決戦。イギリスは、パリ条約(1763)によりフランス勢力を新大陸から追放し、新大陸での覇権を確立したが、アメリカ13植民地の独立を招く原因ともなった。
フレンチ=インディアン戦争
1754~63年アメリカ大陸でフランス人と先住民族インディアンの同盟軍と、イギリス軍とアメリカ植民地軍の連合軍とが戦った戦争。ヨーロッパ大陸における七年戦争の新大陸版でイギリスとフランスの植民地戦争の最後の決戦。北アメリカ大西洋岸から西方に農業植民地の拡大をはかるイギリスの植民地政策と、カナダからメキシコ湾にいたる交易路の確保をはかるフランス植民地政策の衝突が原因。54年オハイオ川流域へ進出しようとしたイギリス軍と、フォート・デュケーヌ(現ピッツバーグ)を守ろうとするフランス軍との間に戦闘が起り、G.ワシントンらもこれに参加し捕虜となった。戦局は前半58年までフランス側に有利に展開したが、イギリスの大ピット内閣による軍事・財政面での強力な増援により59年のケベック攻略で形勢は逆転した。この攻防戦は激烈をきわめフランスの名将モンカルム侯とイギリスの名将J.ウルフがともに戦死した。翌60年モントリオールが陥落し全カナダがイギリス軍に制圧された。海上でも62年までにフランス艦隊がほとんど全滅し、西インド海域もイギリス艦隊により制圧された。63年のパリ条約によりイギリスはカナダとミシシッピ川以東の地域をフランスから獲得し、フランス勢力を新大陸から追放。さらにスペインからハバナと交換に東フロリダを得て、新大陸での覇権を確立したが、皮肉にもこれがかえって北アメリカ13植民地の独立を招く原因ともなった。
参考 ブリタニカ国際大百科事典