ブワイフ朝(
A.D.932〜A.D.1062)
イラン人の軍事政権。首都:シーラーズ。946年、混乱に乗じてアッバース朝のバグダードに入城し、カリフからイスラーム法執行の権限を与えられた。イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まった。1055年セルジューク朝を興したトゥグリル=ベクに滅ぼされた。
ブワイフ朝
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
イスラーム帝国の分裂
地方王朝の独立に加えて、後ウマイヤ朝とファーティマ朝の君主がカリフを称したことにより、イスラーム世界の分裂は決定的となった。アッバース朝カリフの権威は著しく低下し、10世紀に入るとカリフの支配領域はイラク1州だけに縮小した。カリフ権力の低下をもたらした要因は、独立王朝の出現ばかりでなく、トルコ人奴隷兵(マルムーク)の採用にも求められる。
9世紀以降、アッバース朝のカリフはホラーサーン軍とその子どもたちに変えて忠誠心の厚いマムルークを購入し、強力な親衛隊を組織した。しかしトルコ人マルムークは、やがてその勢力を拡大すると、カリフの改廃をも自由に行うようになったのである。
イラン人の軍事政権であるブワイフ朝(932〜1062)は、このような混乱に乗じてバグダードに入城し(946)、カリフからイスラーム法執行の権限を与えられた。ブワイフ朝は穏健なシーア派を奉ずる王朝であったが、この王朝の君主は、カリフから支配の正統性を授与される見返りに、スンナ派のカリフを保護するという相互依存の関係をとり結んだ。この時以降、10世紀半ばから11世紀にかけて、イスラーム世界は政治制度や社会組織などさまざまな面で、新しい変革の時代を迎えることになる。
イスラーム世界の発展
東方イスラーム世界
中央アジアで遊牧生活を送っていたトルコ人は、10世紀に入ると、人口増加の圧力をうけて西方への移住を開始した。彼らはアラル海付近に定着し、やがてイスラームの商人や神秘主義者との接触をつうじてイスラームに改宗した。トゥグリル=ベクに率いられたセルジューク族も、このようなイスラーム化したトルコ人の集団であった。
セルジューク朝(1038〜1194)を興したトゥグリル=ベク(1038〜1063)は、1055年、ブワイフ朝の勢力を駆逐してバグダードに入城し、アッバース朝カリフからスルタン(支配者)の称号を授けられた。
これ以降スルタンは、スンナ派イスラーム国家の君主の称号として広く用いられることになる。
バグダードからカイロへ
イクター制の成立と展開
アッバース朝カリフの権力が安定し、官僚性が整っている間は、軍隊と官僚に現金俸給を行なうアター体制を維持することができた。しかし9世紀半ば以後、マムルーク軍人の勢力が台頭し、地方に独立の王朝が樹立されると、カリフ権力は衰え、王朝が支配できる地域はイラク地方だけに限られた。このため国庫収入は次第に減少し、ブワイフ朝がバグダードに入城し立ときには、国庫は極度に欠乏した状態にあった。
新体制のもとでは、騎士たちはイクター保有の見返りに君主に対して軍事奉仕の義務を負い、農民や地方の都市民は、従来の徴税官にかわって、イクター保有者による直接支配を受けるようになったからである。
ブワイフ朝時代のイラクでは、農村の実情を無視して不正な徴税がおこなわれたために、農民の疲弊は著しかった。しかしセルジューク朝になると、イクター制が施行される範囲はイラクからイラン・シリアへと拡大し、また政府によるイクター保有者の監督も厳格におこなわれるようになった。
歴代君主
ファールス地方
- イマード・ウッダウラ(932年 – 949年) – ブワイフの長男。
- アズド・ウッダウラ(949年 – 983年) – ブワイフの次男ルクン・ウッダウラの子。
- シャラフ・ウッダウラ(983年 – 990年) – アズド・ウッダウラの子。
- サムサーム・ウッダウラ(990年 – 998年) – アズド・ウッダウラの子。
- バハーウ・ウッダウラ(998年 – 1012年) – アズド・ウッダウラの子。
- スルタン・ウッダウラ(1012年 – 1021年) – バハー・ウッダウラの子。
- ムシャリフ・ウッダウラ(1021年 – 1024年) – バハー・ウッダウラの子。
- アブー・カーリジャール(1024年 – 1048年) – スルタン・ウッダウラの子。
- マリク・アッラヒーム(1048年 – 1055年) – アブー・カーリジャールの子。
- フーラード・ストゥーン(1055年 – 1062年) – アブー・カーリジャールの子。
イラク地方
- ムイッズ・ウッダウラ(945年 – 967年) – ブワイフの三男。
- イッズ・ウッダウラ(967年 – 978年) – ムイッズ・ウッダウラの子。
- アズド・ウッダウラ(978年 – 983年) – ファールス政権の君主。
- サムサーム・ウッダウラ(983年 – 987年) – アズド・ウッダウラの子。
- シャラフ・ウッダウラ(987年 – 989年) – アズド・ウッダウラの子。
- バハー・ウッダウラ(989年 – 1012年) – アズド・ウッダウラの子。
- スルタン・ウッダウラ(1012年 – 1021年) – バハー・ウッダウラの子。
- ムシャリフ・ウッダウラ(1021年 – 1025年) – バハー・ウッダウラの子。
- ジャラール・ウッダウラ(1025年 – 1043年) – バハー・ウッダウラの子。
- アブー・カーリジャール(1043年 – 1048年) – スルタン・ウッダウラの子。
- マリク・アッラヒーム(1048年 – 1055年) – アブー・カーリジャールの子。
シバール地方
- イマード・ウッダウラ(932年 – 947年)
- ルクン・ウッダウラ(947年 – 977年)
<ハマダーン政権>
- ムアイヤド・ウッダウラ(977年 – 983年)
- ファフル・ウッダウラ(983年 – 997年)
- シャムス・ウッダウラ(997年 – 1021年)
- サマー・ウッダウラ(1021年 – 1028年)
<ライ政権>
- ファフル・ウッダウラ(977年 – 997年)
- マジュド・ウッダウラ(997年 – 1029年)
ケルマーン地方
- ムイッズ・ウッダウラ(936年 – 949年)
- アズド・ウッダウラ(949年 – 983年)
- サムサーム・ウッダウラ(983年 – 998年)
- バハー・ウッダウラ(998年 – 1012年)
- カクーム・ウッダウラ(1012年 – 1028年)
- アブー・カーリジャール(1028年 – 1048年)
参考 Wikipedia