メコン川
メコン川はチベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムをおよそ4200キロにわたって流れ、南シナ海に抜ける。典型的な国際河川の一つで、数多くの支流がある。
メコン川
メコン川はチベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムをおよそ4200キロにわたって流れ、南シナ海に抜ける。典型的な国際河川の一つで、数多くの支流がある。
アジア・アメリカの古代文明
東南アジアの諸文明
民族国家の形成
カンボジア
扶南
クメール人(カンボジア)
インドシナ半島のメコン川流域に住んでいたクメール人(カンボジア人)は、インド文化の影響のもとに1世紀末ころ同川の下流域に扶南を建国し、デルタ地帯の開発と海上貿易で栄えた。
この国の外港があったオケオからはローマ金貨、インド製の仏像やヴィシュヌ神像、漢の銅鏡などが発見されている。この国はしばしば中国に朝貢したが、6世紀中ごろ北方に同じクメール人の国家真臘がおこると、それに圧倒され7世紀中ごろ滅んだ。
扶南をクメール人ではなくインドネシア人が建国した国家とみる説もある。
真臘
クメール人(カンボジア)
扶南にとってかわった真臘は8世紀はじめに南の水真臘と北の陸真臘に分かれて争い、国力を消耗させて一時シュリーヴィジャヤの勢力下に入ったが、9世紀初めにジャヤーヴァルマン2世が国内を再統一し、クメール王朝(アンコール朝)を開いてから強盛となった。
クメール人(カンボジア人)
クメール王朝(アンコール朝)はアンコール地方に都をおき、その領土はインドシナ半島の中部・南部のほぼ全域におよんだ。また神聖化された王権のもとで、王城やヒンドゥー教・仏教の大寺院がつぎつぎに建造された。
12〜13世紀にでたスーリヤヴァルマン2世とジャヤーヴァルマン7世の時代が最盛期であり、前者によってアンコール・ワット(都城寺院)が建造され、後者によってアンコール・トム(大都城, 最初の建設は9世紀末)が増築された(世界遺産:アンコール遺跡)。アンコール朝では治水・灌漑の技術が発達し、その結果としての農業生産の増大がこの王朝の繁栄を支えた。
しかし13世紀後半に衰退に向かい、14世紀後半にタイのアユタヤ朝に圧迫されて領土を失った。