モエンジョ=ダーロ (紀元前2300年〜紀元前1800年頃)
パキスタン南部のインダス川下流域に位置するインダス文明(紀元前2300年〜紀元前1800年頃)最大の都市遺跡である。モエンジョ=ダーロは「死者の丘」を意味する言葉で、この地で多数の人骨が発見されたことからその名がついた。遺跡は約1.6㎞四方の規模で、西側の城塞地区と、東側の市外地区に分けられる。世界遺産「モヘンジョ・ダーロの遺跡群」に登録されている。
モエンジョ=ダーロ
インダス川下流シンド州カラチから約300km北のインダス文明の遺跡の一つ。1921年インド人考古学者により発見され、植民地解放を求めるインド民族主義の高揚に貢献した。約1.6km四方の遺跡には、周到な都市計画に基づいたレンガ舗装の格子状街路や下水溝が整備されており、西の城塞地区には穀物庫、大浴場、邸宅、学問所、集会所などの大建築物跡があり、東の市街地には整然としたランガ造りの人家が立ち並んでいた。
参考 Archaeological Ruins at Moenjodaro – UNESCO World Heritage Centre
高度な都市計画がうかがえるインダス文明の遺跡
パキスタン南部のインダス川下流域に位置するインダス文明(紀元前2300年〜紀元前1800年頃)最大の都市遺跡である。モエンジョ=ダーロは「死者の丘」を意味する言葉で、この地で多数の人骨が発見されたことからその名がついた。遺跡は約1.6㎞四方の規模で、西側の城塞地区と、東側の市外地区に分けられる。
市外地区は碁盤の目状に走る街路や排水溝などの高度な都市計画の形跡が見られる。いっぽうで、城塞地区には巨大な宮殿や墓所が発見されていない。このことから、インダス文明には強大な権力者が存在しなかったとの推測がなされている。
くわしく学ぶ世界遺産300<第2版>世界遺産検定2級公式テキスト