ワット・タイラーの乱 (1381年)
百年戦争の戦費確保のために導入された人頭税に農民が反発、ワット・タイラーや説教僧のジョン・ボールに率いられ、イングランド東南部からロンドン市内に進撃し、一時ロンドンを占領した。リチャード2世(イングランド王)との直接交渉により、農奴制の廃止、取引の自由、地代の減額などを約束させたが、まもなくタイラーは奸計にかかって殺され、反乱は鎮圧された。約束は取り消され、ジョン・ボールらの指導者も捕らえられ、処刑された。だが、その後も各地で反乱が続発し、結局農民たちは身分上の自由を勝ち取っていった。
ワット・タイラーの乱
反乱データ
年月日:1381年5月30日 – 1381年11月 | |
場所:イングランド | |
結果:国王の勝利 | |
交戦勢力 | |
農民反乱軍 | イングランド |
指導者 | |
ワット・タイラー ジョン・ポール |
リチャード2世(イングランド王) |
ジョン・ポールの説教
「善良なる民衆諸君よ、イングランンドでは物事がうまくいっていない。また財産が共有となり、農奴も領主もなく、全てのものが一つに結ばれるまでは、そうはならないのだ。我々が領主様と呼んでいる人々は、一体どういうわけで我々より偉い主人なのか。彼らは誰に害を与えているのか。彼らはなんの理由があって我々を隷属させているのか。もし我々が皆一人の父と一人の母、アダムとイヴから生まれたものならば、どうして彼らは、自分たちが我々より偉い領主様であるといったり、それを証明したりすることができようか。」(西洋資料集成)