参勤交代 さんきんこうたい( B.C.1635〜A.D.1867)
毎年4月を交代期として、全国の大名の半ばが江戸に、半ばが国元にいるという制度。大名には国元と江戸とを1年交代で往復する参勤交代を義務づけ、妻子の江戸居住を強制した。関東の大名は半年交代、対馬の宗家は3年に1回の参勤であり、水戸家は常に江戸藩邸に詰めた。大名はこれによってばく大な出費をさせられたが、江戸と街道筋の宿場がにぎわい、交通が発達した。江戸に参勤した大名たちは、軍役として江戸城諸門の警衛や火事の際に出動するなどの役務を担った。3代将軍家光が1635(寛永12)年に発布した武家諸法度(寛永令)で義務づけた。
参勤交代
妻子が居住する江戸藩邸の経営や領地と江戸とを往復する大名行列などは、諸大名の藩財政にとって、大きな負担となった。
幕藩体制の確立
幕藩体制の成立
幕藩体制
徳川家光は1635(寛永12)年、武家諸法度を発布し、諸大名に遵守を厳命した。そのなかで大名には国元と江戸とを1年交代で往復する参勤交代を義務づけ、妻子の江戸居住を強制した。参勤交代は毎年4月を交代期として、全国の大名の半ばが江戸に、半ばが国元にいるという制度だが、関東の大名は半年交代、対馬の宗家は3年に1回の参勤であり、水戸家は常に江戸藩邸に詰めた。大名はこれによってばく大な出費をさせられたが、江戸と街道筋の宿場がにぎわい、交通が発達した。江戸に参勤した大名たちは、軍役として江戸城諸門の警衛や火事の際に出動するなどの役務を担った。