徳川家重 とくがわいえしげ( A.D.1711〜A.D.1761)
江戸幕府9代征夷大将軍(在職1745〜1760) 。吉宗の長男。母は大久保忠旧の娘。延享2(1745)年11月2日将軍宣下。生来虚弱なうえ暗愚であったため吉宗が後見したが、のち大岡忠光が言語不明瞭となった家重の側用人として活躍。
徳川家重
江戸幕府第9代征夷大将軍
(在位1745〜1760)
(在位1745〜1760)
- 1754 宝暦治水(薩摩藩木曽三川分流工事に着手 〜1755)
- 1758 宝暦事件(竹内式部逮捕、1759年追放)
主な幕僚:側用人:大岡忠光・田沼意次
江戸幕府9代将軍(在職 1745~60) 。吉宗の長男。母は大久保忠旧の娘。幼名は長福丸。院号は惇信院。延享2(1745)年11月2日将軍宣下。生来虚弱なうえ暗愚であったため吉宗が後見したが、のち大岡忠光が言語不明瞭となった家重の側用人として活躍。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
幕藩体制の動揺
幕政の改革
田沼時代
将軍吉宗のあと、9代徳川家重(1711〜61)・10代徳川家治(1737〜86)の時代になると、側用人を兼ね老中となった田沼意次(1720〜88)が幕政の実権を握り、きわめて強い権勢をふるった。この時代を田沼時代と呼んでいる。