文化交差路サマルカンド
世界遺産。ウズベキスタン中東部、サマルカンド州の州都。紀元前6世紀から知られる中央アジア最古の都市。12~13世紀には商業都市、14~15世紀にはティムール帝国の首都として繁栄した。”サマル”は人々が出会う、”カンド”は町の意。文字通りサマルカンドは世界の交差点、諸文化の融合する地である。14~15世紀のレギスタン・モスク、ビビ・ハヌイム・モスク、シャーヒ・ジンダ、グール・エミール、ウル・ベグ天文台など著名なイスラム建造物が現存する。
文化交差路サマルカンド
シルク・ロードに栄えた東西交通の要衝
サマルカンドは、紀元前7世紀から知られる中央アジア最古の都市である。シルク・ロードのほぼ中央に位置するオアシス都市として栄え、アレクサンドロス大王や唐の高僧である玄奘がその美しさをたたえている。
8世紀にイスラム化が進み13世紀初頭にホラズム・シャー朝の首都となったが、モンゴル帝国のチンギス・ハンによって破壊された。1370年にティムール朝の首都として再興すると、世界各地から学者や芸術家、職人が集められて壮麗なモスクやマドラサ(学院)が建設された。建物はサマルカンド・ブルーと呼ばれる青色のタイルで彩られ、サマルカンドは「青の都」と呼ばれた。しかし、16世紀にティムール朝が崩壊したことや、海運の発達によってシルク・ロードの重要性が低下したことで、都市は衰えた。
内陸アジア世界の変遷
トルコ化とイスラーム化の進展
突厥・ウイグルとソグド人
シルク・ロードの十字路 サマルカンド
サマルカンドは、ザラフシャーン川流域に立地する砂漠のなかのオアシス都市である。
「緑のベルト」と称されるザラフシャーン川流域は、高度な灌漑技術によって開発された豊かな農業地帯であり、ブドウ・メロン・ザクロなどの果実や野菜類、小麦・綿花などが栽培され、それらは近隣のオアシス都市の市場(バザール)に運ばれ、都市民が製造した陶器や金属器、遊牧民が持ち込む絨毯や皮革製品などと取引された。
中国・イラン・インド・草原地帯という東西南北の隊商貿易が交差するサマルカンドの市場は、これらに加えて中国の絹やインドの香辛料、シベリアの毛皮などが売買される一大国際交易場となっていた。四重の城壁に囲まれ、およそ50万の人口を擁したというサマルカンドは、オアシス地帯最大の都市として長く繁栄し、13世紀にモンゴルの攻撃によっていったん壊滅的な打撃をうけたが、14世紀にティムールによって再建され、その帝国の首都として再び繁栄を取り戻した。
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ギャラリー
レギスタン広場
グーリ・アミール廟
ビービー・ハーヌム・モスク
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