東晋( A.D.317〜A.D.420)
西晋が匈奴(劉淵の漢)に滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿が江南(呉の都であった建業(建康と改称))で皇帝の位につき、晋を復興した。これを統一時代の晋(西晋)と区別して東晋という。
東晋
東アジア世界の形成と発展
北方民族の活動と中国の分裂
分裂の時代
永嘉の乱
魏・晋代に今の山西の地に住み着いていた南匈奴は、漢人とは異なった遊牧を中心とする生活を送っていた。また、陝西〜甘粛にかけては、氐や羌などの諸民族が住みついていた。このうち、まず山西の南匈奴が優勢となり、都の洛陽を攻略し、ついで長安を攻めて皇帝を捕虜にし西晋を滅ぼした(316・永嘉の乱)。
東晋の建国
このため江南の軍司令官であった司馬氏の王族のひとり司馬睿は、317年かつての呉の都であった建業(建康と改称)で皇帝の位につき(元帝(東晋))、晋を復興した。これを統一時代の晋(西晋)と区別して東晋(317〜420)という。
その子の劉聡のとき、洛陽を陥れて懐帝(西晋)を捕虜にし(311年)、316年には長安の愍帝(西晋)を降ろして西晋を滅ぼした。こうして華北は五胡十六国時代に入り、漢人豪族のひきいる流民集団は時に塢と呼ばれる城塞をつくって自営したり、江南に復興した東晋政府を頼って南に移住したりした。このような時代を背景に、東晋の詩人陶淵明は『桃花源記』で、戦乱を避け山中で自給自足の生活を送る集落を理想化して描いている。
五胡十六国と南北朝
華北では、まず南匈奴が強盛を示したが、つづいて匈奴の別種といわれる羯が政権をたてた。
また、2世紀の中頃より中国の北辺を脅かしていた鮮卑も長城を越えて侵入し、政権を打ち立てた。
チベット系の氐や羌も、それぞれ勢力を拡大して政権をたてた。
このうち、氐のたてた前秦は、長安に都をおき強勢となり、長江以北を支配下に入れ、一時的に華北を統一した。さらに中国統一を目指して南下したが、東晋との淝水の戦いで敗れ(383)、これを契機に前秦は崩壊し、南北分立の形勢が決まった。これら匈奴・鮮卑・羯・氐・羌のなどの諸民族を総称して五胡という。このような分裂状態の五胡十六国時代を経て、5世紀前半に鮮卑の拓跋氏がたてた北魏の太武帝によって華北が統一された(439)。
江南に東晋が成立すると、華北に住んでいた漢人の貴族や豪族、そして多くの農民が戦乱をさけてこの地に移住した。このため開発の途上にあった長江の中・下流域は、急速に発展した。東晋は約100年続いたが、その末期には政治が乱れ、華北への反攻で戦果をあげた武人出身の劉裕(武帝)が帝位について宋(南朝)(420〜479)をたてた。
歴代皇帝
歴代皇帝
廟号 | 諡号 | 姓名 | 在位 | 年号 | 陵墓 | |
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1 | 中宗 | 元帝(東晋) | 司馬睿 | 317年 - 322年 | 建武 317年-318年 大興 318年-321年 永昌 322年-323年 | 建平陵 |
2 | 粛祖 | 明帝(東晋) | 司馬紹 | 322年 - 325年 | 太寧 323年-326年 | 武平陵 |
3 | 顕宗 | 成帝(東晋) | 司馬衍 | 325年 - 342年 | 咸和 326年-334年 咸康 335年-342年 | 興平陵 |
4 | 康帝(東晋) | 司馬岳 | 342年 - 344年 | 建元 343年-344年 | 崇平陵 | |
5 | 孝宗 | 穆帝(東晋) | 司馬聃 | 344年 - 361年 | 永和 345年-356年 升平 357年-361年 | 永平陵 |
6 | 哀帝(東晋) | 司馬丕 | 361年 - 365年 | 隆和 362年-363年 興寧 363年-365年 | 安平陵 | |
7 | 廃帝(東晋) (海西公) | 司馬奕 | 365年 - 371年 | 太和 366年-371年 | 吳陵 | |
8 | 太宗 | 簡文帝(東晋) | 司馬昱 | 371年 - 372年 | 咸安 371年-372年 | 高平陵 |
9 | 烈宗 | 孝武帝(東晋) | 司馬曜 | 372年 - 396年 | 寧康 373年-375年 太元 376年-396年 | 隆平陵 |
10 | 安帝(東晋) | 司馬徳宗 | 396年 - 403年 | 隆安 397年-401年 元興 402年 隆安 402年 大亨 402年-403年 元興 403年-404年 | 休平陵 | |
注1) | 403年 - 404年 | 楚:建始 403年 楚:永始 403年-404年 | ||||
安帝(復位) | 司馬徳宗 | 404年 - 418年 | 元興 403年-404年 義熙 405年-418年 | 休平陵 | ||
11 | 恭帝(東晋) | 司馬徳文 | 418年 - 420年 | 元熙 419年-420年 | 沖平陵 |