河村瑞賢 (
A.D.1618〜A.D.1699)
豪商、土木事業家。伊勢国に生まれ、江戸で土木業を営み幕府・大名の工事を請け負い巨利を得た。陸奥の米を運ぶ東廻り航路、出羽の米を運ぶ西廻り航路の刷新に成功し、大坂の安治川を開き、伏見から淀川を下って大坂にいたる舟運を便利にさせた。死の前年、その功績により旗本に列せられた。
河村瑞賢
豪商、土木事業家。伊勢国に生まれ、江戸で土木業を営み幕府・大名の工事を請け負い巨利を得た。陸奥の米を運ぶ東廻り航路、出羽の米を運ぶ西廻り航路の刷新に成功し、大坂の安治川・堀江川の開削や治水、鉱山の開発を実施。死の前年、その功績により御家人に列せられた。
幕藩体制の展開
経済の発展
交通の整備
東北・北陸地方の諸藩は蔵米を江戸や大坂に運ぶため、直航路を開くことを望んでいた。寛文年間、河村瑞賢(1618〜99)の努力によって秋田から津軽海峡を経て太平洋側にでて江戸にいたる東廻り海運と、日本海沿岸をまわって赤間関(下関)を経て瀬戸内海から大坂にいたる西廻り海運とが整備された。西廻り海運には北前船が活躍したが、後期になると、北前船は買積み方式で蝦夷地にも進出して、積極的な商取引を行った。河村瑞賢はまた、貞享年間(1684〜88)ころ安治川を開き、伏見から淀川を下って大坂にいたる舟運を便利にさせた。このような河川舟運は、慶長のころ、京都の商人角倉了以(1554〜1614)が富士川・天竜川や保津川・高瀬川を整備したのに始まり、河村瑞賢以降も各地方の河川は整備され、内陸地方の交通と物資輸送が便利になった。