衆愚政治
古代ギリシアの民主政ポリスにおいて、参政権を獲得した大衆が烏合の衆と化して無定見な政策の決定を行った政治。その典型とされる紀元前5世紀後半のアテネでは、ペロポネソス戦争の遂行にあたって、ペリクレス亡きあとクレオンをはじめとするデマゴーゴス(民衆指導者)が民会を牛耳って失策を重ね、やがて敗北に至った。こうした状況を厳しく批判したのがプラトンやアリストテレスらの思想家であり、彼らは、前5~前4世紀のアテネで実現された徹底した民主政治(民衆による支配)を下層の貧民による支配ととらえ、これを衆愚政治として批判した。同様の見解は、後のローマの歴史家ポリビオスの政治理論にもみられる。
出典 小学館 日本大百科全書
衆愚政治
- 浮動的な大衆が政治に参加して無方向・無政策的な決定を行う政治。アリストテレスは民主政治の堕落形態としてとらえ、ポリュビオスも「政体循環論」の中で同じ見解をとっている。(出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)
- 自覚のない無知な民衆による政治。ペリクレス死後のアテネの民主政治の堕落を批判していった語(出典 デジタル大辞泉)
- 腐敗した民主政治の形態の一つ。古代ギリシアにおいて、大衆の参加する民主主義は結局愚劣で堕落した政治に陥ると考えられた。なお、近代においても貴族主義者やエリート主義者は同じように考えてきた。(出典 ブリタニカ国際大百科事典)
オリエントと地中海世界
ギリシア世界
ペロポネソス戦争とポリスの没落
はじめアテネは、ペリクレスの指導のもとに優勢であったが、田園への攻撃を逃れて市民を城壁へ籠城させる作戦をとったため疫病に襲われ、人口の3分の1を失い、ペリクレスも病死した。その後も一進一退の戦いが続き、ペルシアも介入して対立をあおった。アテネの政治をリードしたのは富裕な商人や手工業の政治家で、彼らは好戦的な民衆に迎合し、いたずらに戦争を長期化させた。彼らをデマゴーゴス(扇動政治家)と呼び、クレオンやアニュトスなどがそれであった。また貴族のアルキビアデスは無謀なシチリア遠征を提案して、アテネ軍がシチリアで全滅する事態になってついにペロポネソス側が勝利した。
降伏したアテネは艦隊を失い、城壁を破壊され、一時は民主政が倒れて寡頭政が成立した。エーゲ海域からシチリアまで、ほとんどのポリスが巻き込まれたこの戦争によって農地は荒廃し、ポリス内部では中下層市民の困窮化が進んだ。